最新の五絃胡弓 2003年10月完成 紅木棹・表四ツ裏犬

胡弓本来の良さを最大限に保持しつつ、より幅広い表現力を持たせたい。

そんな願いから、二十年の歳月を経てこの楽器が生まれました。 

五絃胡弓考案の理由といきさつ

胡弓は完成途上の楽器

 最初に申し上げておきたいのは、私はもともと古典曲が大好きでこの世界に入ったのであり、楽器の制について伝統を尊重することにやぶさかではなく、和楽器についていえば、従来の美点を犠牲にしてまで西洋のモダン楽器ほどの合理的改変をすることは不必要と思っていることです。従来の胡弓を捨て去る気は全くありませんので、その点誤解のないようお願い致します。

 しかしながら、まだ完成の途上にあると思われる胡弓という楽器の場合に限り、最低限擦絃楽器特有の事情を考慮した楽器作りをすれば、必要以上の苦労を強いられることなく、その分もっと高度な技術や表現に取り組みやすくなると考えているのです。

 三味線や箏は楽器として高度に完成され、かなり固定されたものです。例えば箏は奈良時代に中国から渡来し、今も外見はよく古制を保持していますが、造りは大きく異なっており、今のスタイルが完成されたのは江戸時代中期後半のことです。日本人の鋭敏な聴覚が長い間に磨き上げて来た、その努力と成果 にはいつも驚嘆の念を感じざるを得ません。

 しかし胡弓は、もちろんその三百年の歴史の中でやはり多くの人々の経験と工夫により、それなりに胡弓としてのかたちを整えて来たとは思います。たとえば十七世紀には、それまでの丸胴から角胴へと大きく変化しましたし、同じ頃に弓も大幅な改良がなされていますが、それにしても胡弓は、箏や三味線に比して、いまだ、あともう少しという、完成の途上にあるように思えるのです。逆に自由さがあったと考えることもできるでしょう。そのあらわれとして、奏者自身がその造りや形にそれぞれ工夫をこらすことが多かったようです。たとえば胡弓の名手であり「千鳥の曲」など胡弓の名曲を残した吉沢検校も、独自の形の胡弓を使っていたといいます。藤植流胡弓の始祖藤植検校は、高音絃を復絃とした四絃胡弓を考案し、現代でも同流で使われています。駒も三味線なら専門の職人が作りますが、胡弓の場合は奏者自身が作ることが多いものでした。現在でも胡弓を主要なレパートリーとする演奏家は、それぞれ各自工夫を加えた楽器を使用しておられるようです。

 実際に胡弓の製作にあたっては、三味線の各職人がそれを行うわけですが、どこまで弓で弾く楽器としての経験、研究がなされ、考慮と計算のもとに設計し尽されているでしょうか。私はその点まだまだ不足していると思います。

オリジナル楽器主義には賛成だけれど・・・

 特に古典曲の演奏に際し、江戸時代の仕様そのままの楽器を使用することは素晴らしいと思います。私も古典を弾く場合に、箏など今の楽器が現代風になり過ぎていると感じる時もあります。三味線もまた、この百年間だけでも知らぬ間に徐々に変化して来ているわけで、本当に当時の仕様の楽器で演奏したいという気持ちもあります。江戸末期の嘉永年間に製作された三味線を弾かせて頂く機会がありましたが、今のものとはまた違う、実に良い音がしました。古い名器の多い琵琶は別として、一般に箏、三味線は古いものは音が劣化するといいますが、本当は必ずしもそうではないと思います。それよりも音に対する嗜好の移り変わりや、広いホールなど演奏環境の変化の影響で楽器の造作が変り、古い楽器の音が妙に聴こえたり、箏など場合によっては経年変化を犠牲にして、新品からすぐ鳴るような楽器作りをしてはいないでしょうか。現代では準消耗品的に箏を扱うことが多いのですが、長年月に亘って愛奏できる箏造りは不可能なのでしょうか。

 亡き師、青木嘉女野先生の愛奏されていた胡弓は、江戸時代末期のものでしたが、実に良い音色の楽器でした。もちろん何でも古いものが良いともいいません。でなければそもそも五絃胡弓など考えないはずですし。

 それでも和楽器は外観や響きにおいて、従来の美しい形を極力保持していますが、アジアの他の国の一部の楽器では、機能性や合理性を追求するあまり、西洋楽器、たとえばヴァイオリンの要素を随所に取り入れて、妙に西洋じみた外観を呈しているものも見かけます。それらは私にはあまり美しいものとは思えません。もちろんそれぞれ工夫の苦労の跡が忍ばれ、深く敬意を表さずにいられませんが、それを安易に「改良」と呼ぶことは危険であると思います。

 ヴァイオリンが最高の擦絃楽器であるとも思いません。確かに素晴らしい楽器ではありますが、どちらかと言えば、私はヴィオールの音の方が好きですし、それがヴァイオリンの前段階などとは考えません。それはそれで十分に完成されたものだと思います。また北インドのサーランギも非常に素晴らしい擦絃楽器であると思います。

 弓について考えてみても、胡弓楽の弓はその始め強く張られていたものが、17世紀後半に八橋検校の改良により、ゆったり、たっぷりと張る様になりましたが、これなどヴァイオリン弓の発達と逆の発想です。それを考えるとけっして現代のヴァイオリンの弓が、最も完成されたものであると言うことはいえないのです。もちろんよく研究され、きわめて発達した弓ではありますが、それはロマン派以降のクラシック音楽を奏する上で最適なだけです。ところが他のアジア諸国の擦弦楽器では従来の弓をすっかり現代西洋風に変化させてしまっている例も少なくありません。一方日本では、現在でもわれわれ胡弓楽の胡弓奏者はこのゆったり、たっぷりした弓を捨てませんが、これは弓の音に対する日本独特の美意識と言うものがすでにしっかりと確立されているからでしょう。こういう発想は大切にして行かねばならないことであると思います。

 ただ、私たちの音楽は単なる骨董趣味、懐旧趣味、尚古趣味ではありません。それには正しい時代考証の他に、正しい芸の継承、そして確たる演奏技術の裏づけが必要です。もちろん感性も大切ですが。たとえば、近年クラシック界では特にバロック音楽など、当時の仕様の楽器、いわゆるオリジナル楽器を用い、当時の奏法、当時のピッチで演奏する人々が活躍しており、「古楽」と呼ばれ、この動きも今ではだいぶ市民権を得るようになりました。その響きはモダン楽器とは大きく異なり、かえってとても新鮮な魅力を感じますが、しかしそうなるためには綿密な研究、考証はもちろんのこと、彼らの大変な修練の積み重ねがあったということを忘れてはなりません。それでこそ人に訴える力を得るのです。

 西洋音楽のいったん断絶してしまった奏法や楽器と比べ、邦楽は多く連綿と伝えられてきているところが違いますが、このように完全なオリジナル楽器主義であるならば、確たる技術の裏付けが必要なのは同じですし、またいたずらに名取りの数を誇ったりするのではなく、真に芸の伝承をきちんと会得しているべきです。それならば私も大いに歓迎です。しかしただ過去に惑溺し、曲の上っ面をさらっただけで満足し、ただでさえ演奏しにくい楽器を思いのままに操ることが出来ないまま、演奏技術の拙劣さを安易に「妙味」にすり替えていては、やがて聴く人を失い、また胡弓そのものもますます人々に見限られる結果ともなるでしょう。まことに残念ながらそういう奏者を見受けます。また胡弓ばかりオリジナルでは駄目です。その場合合奏される三味線や箏もまたオリジナルであるべきで、いくら胡弓がオリジナル仕様でも、それが西日本系のものならば、モダンの山田箏で合わせているようではナンセンスというほかありません。これでは考証が不合理というものです。オリジナル主義を通すならば、そのような点も徹底すべきでしょう。

 また、今は江戸時代とは違い広いホールで大勢の聴衆に向かって演奏しなければならないという現実的な点も忘れてはなりません。弓は動いているがほとんど音が聴こえて来ないようでは仕方ありません。楽器を芯から鳴らす腕と、良く鳴る楽器が必要なことは言うまでもありません。

 そうでなくとも、あるいは逆に、特に現代もの中心に活躍している奏者でも、誰々に師事したと言っても本当にきちんと演奏のニュアンスを伝承している奏者は極めて少ないのが現状です。

 私は、古典曲が心から好きですし、尊重したいと考えています。しかしそれでもなお、胡弓に関してだけはどうしてもその作りについて、完全には納得できない部分があるのです。ただ、最初にもお断りしたように、そういう従来の胡弓を捨てる気はまったくありませんし、従来の楽器、仕様でも完璧に演奏できるよう心掛けています。また、亡き師から伝えられた芸はいつも磨いて保持しているつもりです。

 

擦絃楽器としての問題点

 つまり、胡弓はいまだ完成まであともう少しというところにある楽器なので、現在もいくつかの問題点を残したままであると言えると思います。この楽器が三味線とほとんど同じ形をしているからといって、そして三味線がいかに高度に完成された楽器であっても、その常識がすべて胡弓にも当てはまるわけではありません。胡弓は三味線とは鳴り具合がまったく違います。なぜかと言えば「擦絃楽器」だからです。形はそっくりですが、胡弓には弓で弾く楽器ゆえの、撥で弾く三味線とは全く異なった特有の事情が生じます。

 まず音響に関することがあります。もちろん三味線の音響もいろいろと複雑な要因がからみ合っているのですが、弓で弾く楽器の音響はまた独自の、きわめて複雑で微妙な現象を伴います。例えばヴァイオリンや二胡で問題になる「ヴォルフ音(狼音)」は胡弓にもやはり発生します。しかしこういった胡弓の擦絃楽器としての音響事情は、三味線のみ演奏する方には両者があまりにも似過ぎているがゆえに、かえって理解して頂き難いかもしれません。また音響学的なことばかりでなく、ほかに擦絃楽器特有の機能上の事情もあります。

 では実際に胡弓の問題点とは何なのか、次に羅列してみましょう。

音響上の問題
1.  音量 が比較的乏しい 
2.  三の糸の音色は美しいが、二の糸、一の糸の響きが豊かさに欠ける。 
3.  二の糸の音質が他の糸と違ってしまうことが多い。 
4.
糸が絹製のためその断面が必ずしも正円でなく微妙な凸凹、歪みがあるために倍音が多く生じたりして、特に高いポジションでは正確な音程が決めにくいことがある。
楽器機能上の問題
5.  実効的音域が比較的狭く、低音域がない。 
6.  擦絃楽器特有の駒の形と位置の関係により、高いポジションほど、また特に二の糸は、棹表面との間隔が大きくなり、押絃しにくいばかりでなく、押絃の際に張力が加わることになり正確な音程がとりにくい。 
7.  糸巻が細小なので、座金との噛み合わせが難しく、調絃がしにくいことがある。 
8.  左手で楽器を支えるので、その分左手の動きが制限される。 

 問題は、胡弓がほとんど単に三味線を小型化しただけであり、上記の諸点を解決するための、この楽器なりの方策や配慮がこれまで必ずしも充分にとられて来なかったということです。

 

五絃胡弓の発案に至るまで

 もちろん、先に述べたように優れた大先達はそれぞれ自身で工夫を加えています。先の藤植検校や吉沢検校もそうですが、宮城道雄は昭和2年に大胡弓を考案、1.の問題点である音量の増大、4.の音域の拡大に成功しました。しかし、大胡弓はヴァイオリンとほぼ同音域であるのに、有効弦長(実際に振動して音を出す部分の長さ)が2倍にもなり、特に左手の運指が大変です。

 私も日頃通常の胡弓を弾いていて、鳴らしにくいと思うことが良くありました。自分の技術を別としても、もう少し楽に音が出るようにはならないだろうか、そう考えることもしばしばでした。いっぽう大胡弓は運指が大変ですし、音量豊かな反面、普通の胡弓のような繊細さにやや欠けるところがあるように思われます。そのようなわけで、私も自分なりになにか工夫をしてみたいという気持ちがだんだん強くなって、新しい胡弓の製作を楽器店に依頼する際、思いきって自分の考えを反映させてもらうことにしたのです。

 工夫を加えると言っても、私はもともと従来の胡弓をもっと弾きやすく、鳴りやすくしたい程度に考えていました。ですから最初は絃数を増やすことは意図していませんでしたが、その一方で従来の三絃胡弓を弾いているとき、もう少し低い音まで出せたらと思うこともよくありましたし、演奏会で胡弓、大胡弓両方を使わねばならない時など一挺で事足りるなら便利だとも感じました。こうしていくつかの点に工夫を加えている内に、これらの二つの思いが一つに重なり、しだいに五絃胡弓へと形をなしていったのです。

 特に、今の棹の長さでどこまで低い音が可能かということが関心の的でした。通常の三絃胡弓、大胡弓への工夫から始まり、まず低音絃を一本増やした四絃胡弓の製作を通じ、通常の棹の長さでも絃の工夫で大胡弓の音域までは大丈夫なことが分かりました。しかし他の擦絃楽器と比較してみると、普通の胡弓の有効絃長はヴィオラにほぼ等しく、また三味線の胴の共鳴音域はヴィオラに近いといいます。それならば更に低音絃を増やし胴を三味線並みに大きくして、ヴィオラ程度までの低音が出せるのではないか、と考えるに至りました。こうして最終的に今の五絃胡弓にたどり着いた訳です。

 特に重要視したのは次の5点でした。

一・  一つの楽器で普通の胡弓、大胡弓両方の音域をカバーできること 
二・  更なる低音が出せるようにし、音域を拡げること 
三・  有効絃長は通常の胡弓と同じとして左手運指の容易さを保持できること 
四・  音量を大きく、また広い音域にわたってむらのない音質が出しやすいこと 
五・  棹前面などの仕様を擦絃楽器の機能に適したものとすること 

 しかし工夫を加えると言っても、思ったほどそれは容易なことではなく、それこそいくつものハードルを越えていかねばなりませんでした。

 一方で、本来の形をできるだけ維持することも心掛けました。胡弓、三味線の胴、棹、海老尾、音緒などの形は、外国の類似楽器とは違う日本特有の美を有しています。これも長い時間をかけて磨かれて来た、日本人の美意識の結晶であると思います。これらを犠牲にすることは極力避けたいと思いました。

 
ハードルの数々

1.楽器店、職人の方々の協力

 まず第一に、こうした試みを引き受けてもらえる楽器店や職人が必要です。最初に相談した楽器店では一笑に付されてしまいました。その後こうした面倒な仕事を引き受けてくださる楽器店や職人の方と出会い、様々な工夫を施すことがはじめて可能になったわけです。特に三味線、胡弓の製造は分業制なので、それを取りまとめる楽器店のご苦労も大変なものであったと思います。

 しかも、今度は実際に楽器が出来上って来ても期待した効果があがらなかったり、何かが良くなれば元の良さが失われてしまったり、様々な問題が次々に生じました。明らかな失敗もあります。さすがに三百年の歴史を有する楽器。伊達にこういう形をしているわけではなく、やはりそれなりの訳があるからであると、改めて認識させられことも少なくありませんでした。それでも試行錯誤を繰り返し、ようやく現在、かなり条件を満たす五絃胡弓となった訳ですが、それまでに約20年が過ぎ、試作した楽器は6挺に及びます。

 

2.金属絃、ガット弦、ガット芯弦使用の試み

 問題点3と5を解決するために、一時金属絃を使用したことがありました。金属絃は絹絃やガット絃に比べ質量がはるかに大きく強靱なので、細い割に強い張力が得られ、音量も大きくなります。また断面が正円に近く歪みが少ないために非常に鳴らしやすく、安定した音程が得られ、気温や湿度の変化にも強く、更には丈夫で摩滅が少なく切れにくいのも利点です。問題は音色で、三味線やギターなどの撥絃楽器ですと、絹やガットに比べ音色が全く変わってしまいますが、幸い擦絃楽器の場合はさほど大きく変化しないので、しばらく使用していました。モダンヴァイオリンや二胡もすでに金属絃を使用しています。現実に演奏会で使用しても音色の点から金属絃であることに気付く人はいませんでした。しかし和楽器は音色に関して極めて敏感です。もっとも良質な金メッキスチール絃でもやはり絹絃のしなやかな音質とはやや違いが感じられ、特に開放絃の音色の相違が目立ちますので、やがて絹絃に戻しました。今では絹でも精度の高いメーカーの、太目のサイズの製品を使っており、音程上の問題は改善しています。やはり和楽器は基本的に絹絃を捨てるわけには行かないと思います。

 ガット絃は羊の腸の膜を捩って作る絃で、現在でも古楽のヴァイオリンやヴィオール、リュート、インドのサーランギ、アラブのウードなどで使われており、音色的には絹絃に似てやや硬質です。高音域では絹絃の音質の方がよりしなやかで美しいですが、中音域の糸に関しては質量と張力の関係からか、絹よりもガットの方が響きが良いので、今の段階ではヴィオール用のガット絃を使用しています。このあたりも擦絃楽器独特の事情なのでしょう。

 さて、通常の三絃胡弓から出発して、低い方に四絃目、五絃目を足す時に、当然太い糸をかけなければなりません。低音絃に関しては、単に太い絃を装着すれば済むと思いがちなのですが、これが一筋縄では行かないもので、実際に絹製の太い糸をかけてみても、ただカサカサしたうつろな音になってしまいます。これもやはり絃長と比重などの問題があるのでしょう。古くから低音域の充実を大切にして来た西洋音楽ではそのための方策として、ガットに極細の金属線を巻き付けた弦がすでに15世紀には考案されています。これは動物性絃の美しい音色を極力損なわずに充実した低音を得る方法として、大変に有効であると思います。現実問題としてこの方法を応用し絹に金属線を巻いた絃を作るには時間もコストもかかりますので、とりあえず有効絃長が胡弓とほぼ等しく、予定している開放絃の音高も同じであるヴィオラのガット芯銀巻き絃を使うことにしました。しかし胡弓では音緒と駒の間が長くて絃長が不足しますので(ヴィオラはテールピース<緒留め板>が駒の近くまで延びている)、装着させるのに更なる工夫を要しました。

現段階で使用している絃。右が高音。右2本は絹絃、中央はガット絃、左2本はガット芯銀巻絃。調絃はふつうC−G−D−G−Cとしているが、曲により変えることもある。 

 また、音緒も五本の絃が装着できるものとしなければなりません。西洋楽器のテールピース(緒留め板)のようなものも考えましたが、やはり音緒は視覚的な意味でも日本の楽器らしい美観を胡弓に添えており、なるべくそれを踏襲したいと思いました。そこで楽器店を通じ音緒職人の方に五絃用音緒を作ってもらうことで解決しました。五本の絃の、従来よりも大きな張力が音緒にかかることが心配でしたが、実際に装着してみて特に問題はないことが分かりました。

 

3.棹短縮の試み

 また、「短棹」という少し棹の短い三味線があるように、胡弓の棹も少し短くしてみたこともあります。通常の胡弓の開放絃から長二度のところまでの分、長さを短くしたのです。これは左手の運指を小指まで容易に使えることを念頭に置いたものでした。しかしわずか数センチ短くしただけで、絹糸絃ではかなり鳴りが悪くなることが分かり(金属絃では問題なし)、再び元の長さに戻しました。改めて、普通の胡弓の有効絃長にはそれなりの理由があるということが分かりました。

 

4.響孔の試み

 一の糸や二の糸の響に豊かさが欠けるという問題点は多くの胡弓奏者が感じていることです。どうしても三の糸の響きが美しいので、古典胡弓楽曲でも三の糸を使用する比重がかなり高く、民謡ともなると一の糸はほとんど開放絃としてしか使わないことが多いようです。このもっとも大きな原因は、胡弓の胴が表裏二枚の皮で完全に塞がれ密閉に近い状態になるからです。三味線の場合も同様で、故にきりりと締った音色が出るのですが、胡弓の場合は胴が小さく、一の糸や二の糸の音が締まり過ぎ、同様な効果が出るのは三の糸に限られてしまうようです。これを解決するために皮に小さな孔を開けることにしました。胡弓の裏皮が破れた時、試しに弾いてみたら低音が豊かさを増したように感じたことがきっかけです。つまり胴に響孔を開けたと同じ状態です。じっさい琵琶やヴァイオリン族、ヴィオール族、リュート、ギターなどには表板に、箏やハープでは裏板に孔が開けられています。また二胡も一枚皮の楽器なので実質的に孔が開いていることになります。これらはその機能の一つとして、低音域を豊かにさせているということもあるようです。ただし孔が大きくなるとポワーンとした西洋楽器的な音になってしまいますし、また逆に三の糸の音が伸びなくなりますので、小さい孔を裏皮に開けることにしました。しかし皮では張り替えるたびに孔を開けなければなりませんし、それが原因で破れる可能性もあるので、最終的に胴の木の左右にそれぞれ一つずつ孔を開けることとしました。

 二の糸の響きが良くない理由にはもうひとつの原因があり、それは皮が縦方向にしか振動できないのに対し二の糸の振動が横方向となるので、そのエネルギーが皮に伝わる効率が良くなく、しかも弓が皮に対して真正面から当るので、振動を抑えるかたちになるからです。この問題に関しては駒の形に工夫を加えることにより解決をはかりました。

 

5.胴サイズ大型化の試み

 胴の大きさも、客観的に言って大きい方が共鳴する体積が増え低音が響きやすいということは言えますが、音量そのものは必ずしも共鳴体の大きさに単純には比例しません。たとえば私の師である故・青木嘉女野先生が愛奏されていた胡弓は、先生のお祖父様が使われていたものですから江戸時代末期から明治前半頃に作られたものでしょうが、非常に小さな胴で、皮の面積からいうと現在の普通の胡弓のそれの半分ほどの大きさでした。しかし信じられないほど良く鳴る楽器でした。

 ただやはり低音絃の響きを活かしたいとなると、ある程度の大きさの胴は必要です。特に五絃胡弓は大胡弓よりさらに五度低い音まで出せることを目標にしています。したがって皮面の面積はいわゆる「一分五厘大」といわれる地歌三味線によく使われる大きさ、胴の深さは津軽三味線並みとしました。深さを大きくとったのは音に深みをつけたかったからです。また最初、裏皮の代りに木の板を貼ってみました。音響学的な興味と動物愛護の考えからですが、しかし結果は良くなく、結局裏も皮に戻しました。やはり皮ですと音量はかなり増大します。

 

6.棹の傾斜、前面 曲面化の試み

 いっぽう、三の糸でも二オクターヴ目以上のポジションは押絃のしにくさも相まって、安定した音程や音色が得られにくく、結局胡弓で常用される音域は2オクターヴと3度程度にとどまっています。もっとも流派によっては押絃の際、二胡のように棹の面まで押さえ込まないところもありますが、私は棹の面まで押さえ当てる伝承を受けていますし、その方が開放絃との音色の差が目立たず、音もはっきりします。そこでまず高ポジションの押絃を容易にする方法を考えました。

 押絃を棹面に押し当てない流派でも、結局胡弓の場合は二胡と違い、押絃圧に変化を加えて張力を変えさせ同じポジョンで音程を変化させたり、その方法でヴィブラートをかけたりすることはありませんので、糸と棹の面との距離はどのポジションでもあまり拡がらないことが理想と思います。これには西洋擦絃楽器の指板が、絃との距離を一定に保つため高ポジションほど高くなっているのを参考にし、棹前面を胴に近くなるほど高くしてゆく様に傾斜を付けました。加えて、胡弓は弓で奏するために中側の絃が高くなっていますので、それに合わせて棹の前面も従来のような平面ではなく、中央が盛り上がった曲面としました。これで押絃がたいへん容易になりました。

 これはまことに擦絃楽器の機能にかなったもので、五絃胡弓以前からの工夫であり、通常の三絃胡弓も同じ仕様にしています。門下生が楽器を新たに注文する場合は、基本的にこのスタイルに統一しています。まれに従来の形にこだわる門下生もいますが、その場合は高いポジションを多用した試験曲を課し、それを従来の胡弓で問題なく演奏できる技術を持っていると認められる場合にのみ許可しています。

 

7.高音域安定化の試み

 それでも特に高音を安定して響かせること、これはなかなか困難な課題です。良質の絃と駒、良く張れた皮、そして演奏技術でかなり良くはなるものの、いずれにしても容易なことではありません。これに対する対処としては先に挙げた棹への工夫に加え、地歌三味線の「駒ぶせ」という演奏技法と、西洋擦絃楽器の胴の構造とを勘案し、胴に工夫をしました。こうすることで高音のみならず、全体の音質バランスがかなりとれるようになってきました。

 また、低音絃を増やすと高音絃が鳴らなくなるという現象にも大変悩まされました。これはおそらく低音絃の駒にかかる力が強く、高音絃の振動が駒に伝わってもそれを抑圧してしまうからであろうと思われ、これを解決するために駒の形状に工夫をこらしました。

 

8.取替式支持脚の試み

 また立奏(椅子に腰掛けて演奏すること)の機会も多いので、中子先の支持脚を取り外し式とし、長さの違ったものを複数用意し付け替えることで座奏、立奏の双方に対応できるようにしました。またその先端も楽器を回転させるのに適した形状を工夫しました。

 

9.その他の試み

 このほか胴の木の厚さ、駒など、工夫を施したのは総じて14ケ所になります。駒は特に音に重大な影響を与える部品ですので、材質から作りまで、何度も何度も試行錯誤を重ねました。

 
五絃胡弓の可能性

完成に近づいた五絃胡弓

 こうして、五絃胡弓はかなり完成に近づいて来たように思われますので、最近これを習いたい門下生用の楽器の製作も始まりました。この楽器を白眼視する向きもないではありませんが、私は胡弓本来の音をより豊かに、また擦絃楽器としての演奏により適した形へと工夫したいと考えているのであって、たとえばヴァイオリン族の音に近付けたいなどと思ったことは全くありません。また追従をするつもりも全くありません。どこまでも胡弓は胡弓です。しいて胡弓以外に理想とする擦絃楽器があるとすれば、私にとってそれはインドのサーランギ位のものでしょう。ただ30年にわたり、日々胡弓に触れこれを熟知している人間であるがゆえに感ずる、切実な悩みを少しでも解決したいと願い、それを形にして来ただけのことです。もちろんまだ問題点がすべて完結したわけではなく、五絃胡弓は完璧なものとなったわけではありません。弓への工夫もこれからの課題です。超すべきハードルはまだまだいくつも控えており、今後も引き続き研究工夫を重ねていくつもりです。

 

五絃胡弓のメリット

 五絃胡弓の主なメリットは、先に列挙した問題をかなり解決した点です。つまり音が出しやすいこと、音域が広く音量も豊かになっていることですが、特に従来の胡弓、大胡弓双方の曲を一つの楽器でカバーできるということは重要です。標準としている調絃(C−G−D−G−C)の中に両者の通 常の調絃(従来の胡弓D−G−C、大胡弓G−D−G)が組み込まれているので、どちらの曲もそっくりそのまま演奏ができます。これは大変に便利です。しかも大胡弓曲の場合、高音絃が1本余分にあることになるので、高音部の演奏がしやすくなります。有効絃長が普通の胡弓と同じなので、ポジションについてはまったく同じ感覚で演奏できますし、大胡弓よりはずっと短いので運指もはるかに容易です。もちろん、これ以外の調絃も種々可能です。

 ただ最初の頃は五絃胡弓の高音部がやや弱く、大胡弓特有の強さが出し難かったのですが、胴や駒等の工夫の結果最近では大幅に改善されほとんど遜色ないものになりました。いっぽう従来の小さい胡弓の問題点であった、二の糸の音質が他と違ってしまい音量も弱いといった傾向も完全に克服されています。 更に、大胡弓よりも低音を出すことができるという点も大きな魅力です。普通の胡弓と比べると1オクターヴ下よりも更に低い音が出せます。一方高音域も普通の胡弓より安定しています。

 中子先の支持脚を付け替え式にしたので、座奏、立奏の両方に容易に対応できるようになったのもメリットの一つです。

 

低音域の音色の問題

 このようにして生まれた五絃胡弓の低音2絃ですが、その音色に魅力を感じる方もいれば、違和感を感じ「胡弓らしくない」「ヴィオラのよう」と言う方もいます。当然人によって音の受け止め方や好みは様々でよいわけですが、前述のように、別段私はそうなるように意図しているわけでもなく、擦絃楽器どうしの同音域ですから多少は似て当然ですし、実際に両者をよく聴き比べてみれば全く違う音であることが分かります。やはり五絃胡弓は皮の響き、ヴィオラは板の響きがします。

 もちろん低音を豊かにさせるために胴をだいぶ大きくしましたので、絃長と共鳴胴の体積の比率がヴィオラに近くなっており、そういった理由もあるかも知れません。皮が四ツか犬かでも音色がずいぶん変ります。犬の方が低音が締まり、その意味で「胡弓らしい」と言えるのかも知れませんが、高音絃の音が硬くなります。今後、絹と金属を合わせた絃の開発、皮や駒の工夫などで、もう少し、いわゆる「胡弓らしい」音に近付けることはできるでしょう。

 しかし後にも述べるように、多分に「馴れ」の問題もあるのだろうと思います。じっさい五絃胡弓の低音域は高音域とは音色が違いますが、これは三味線であろうがギターであろうがヴァイオリンであろうが、どんな絃楽器でも同じで絃楽器の宿命のようなものです。そして、そもそもこれまで胡弓には低音がなかったのですから、その音に関しては「らしい」も「らしくない」も、規範となるべき音そのものが存在しないのです。ですからなるべく、これが胡弓の低音なのだと思って受け止めて頂きたいと考えています。 もちろん五絃胡弓の音色の傾向には、私自身の個人的な好みも反映されているとは思います。確かに田辺尚雄考案による最低音胡弓で、チェロ程度の音域を持つ「玲琴(れいきん・胡弓小事典参照)」などは、胴が板張りなど構造が胡弓とはかけ離れていることもあり、私には少々音質が硬いように感じ、それに比べると五絃胡弓の低音はふくらみがありやや柔らかい感じがします。私の好みであるといってもいいでしょう。

 また三味線の低音域と比べても明らかな違いがあります。そもそも弓で摺るのと撥で弾くのとでは相当な音色の差が出ます。三味線の場合は一の糸に「サワリ」という特殊な音色機構があること、また先に述べたような絃長と共鳴胴の体積との比率の違い、五絃胡弓の胴の深さを三味線よりもほんのわずか大きくしてあること、また低音絃がガット芯銀巻絃であること、そして小さいながら響孔を開けてあること、胴の枠木の厚みを三味線よりもやや薄めにしてあること、これらが複合的に作用し、低音が三味線のような締まった感じにならずに、わずかながら拡がった感じになるのでしょう。それが少し洋楽器っぽい響きと受け取られるのかも知れません。

 しかしたとえば響孔を完全に閉じてしまうと、今度は低音が硬くなり、伸び伸びした響きとならず、しかも音量が落ちます。また極太の絹絃を付けても、その質量と張力の関係から良い音が出ないことは先に述べた通りです。玲琴にしてもやはりチェロ弦を援用していますし、かなり大きな響孔が開けられています。

 低音の音色に関して、他の楽器、たとえば箏でも低音用の「十七絃箏」を考えてみましょう。この楽器は低音拡充のために宮城道雄が考案したもので、チェロ程度の音域を持ち、現在では広く使われています。その基本的な構造は普通の箏とほとんど同じで、いろいろな部位のサイズが少し大きかったり絃が太かったりするだけですが、音色はふつうの箏とかなり違います。それは決して意図されたのではなく、やはり絃楽器の宿命ともいうべきものなのでしょう。しかし我々はふだんその音に馴れてしまっているので、当たり前のように演奏し、また聴いているわけです。人間の感覚はこのように「馴れ」というものにずいぶんと左右されるものです。

 こうして箏においても、その音色をまったくそのまま低音に持っていくことは困難です。どうしても音色が変ってしまいます。当然ですが私も五絃胡弓の音色をなるべく胡弓らしくとは思っており、実際以前よりもずっとそうなってはいますが、やはり箏と同じ理由で、低音域の音色を高音と全く同じくすることはできません。しかし、むしろ低音域にはあまりギリギリガリガリとした感じばかりではなく、たとえば尺八の乙音が持つような、包み込むようなふくらみや深みも必要と考えますので、今の音色でも問題はないし、むしろ好ましいくらいであると考えています。

 

「胡弓=哀調」的先入観の打破

 また、そもそも私は胡弓の音色を「哀しげ」なものと固定的にとらえることに反対です。哀切感との安易な結び付け、それは胡弓の可能性に箍をはめて表現の幅を限定させてしまう恐れが多分にあります。もともとそのようなイメージは、主に劇場音楽や民謡曲の胡弓に対するイメージであり、あるいはマスメディアなどによって植え付けられ刷り込まれた先入観と言ってもよいかも知れません。しかし胡弓楽においては、古典曲でも決してそういった役割のみを課せられているわけではなく、もっと幅広い表現が期待され追求されています。今は亡き横井みつ先生、青木嘉女野先生とも、決してひ弱で哀れっぽい印象の演奏をされる方ではありませんでした。私自身、胡弓の音色を哀れっぽいと思ったことはありません。胡弓は決して哀切感に特化した楽器ではないのです。

 先にも挙げた低音絃の音色に関する一種の違和感も、何よりもそのような「胡弓の音=哀」と決めつける固定観念が引き起こさせるのではないでしょうか。こういった先入観、固定観念を打破することも、胡弓の将来にとって大切なことと考えています。

 またもちろん個人的な嗜好にもよるでしょうが、先ほどの十七絃箏の音色に対する「馴れ」と同じく、五絃胡弓という楽器の音にまだ馴れないがゆえの違和感であるとも言えるでしょう。特に、胡弓を三絃や箏の「添え物」程度にしか感じておられない、またはごく限られた範囲内での役割しか期待しておられない方々から「胡弓らしくない」というご感想を頂くことがあり、これにはいささか苦笑せざるを得ないこともあります。何故ならば、そういった方々は必ずしも胡弓という楽器を深くご存知とは言い難いですし、胡弓の将来を本当に真剣に考えてくださっているわけでもないと思います。そのような方々と、長年胡弓と付き合って来た人間が切実に思うことにギャップが存在することは仕方ないことでしょう。かえって、先入観を持たない柔軟な感受性を持つ方には「美しい音色」と、すんなりと受け入れられていますし、長く胡弓と付き合って来られ、この楽器を深く知っておられる方からも賛意を頂いています。

 門弟の中にも、五絃胡弓に無理解な者もいます。私は自分の価値観を押し付けたりはしませんが、これらのことで、いかに人間の固定観念というものが強固なものであるか、たびたび思い知らされました。しかしこのような否定的意見が、また五絃胡弓の改良のために役立っていることも事実です。

 

評判

 胡弓の将来、その意味でも五絃胡弓はこれまでの胡弓の美点を最大限保持しつつ、かなり安定した音色と機動性、4オクターヴに及ぶ幅広い音域、より豊かな音量と響きで、音楽的機動性の面では箏に匹敵するか場合によっては凌駕し、より広汎な表現力を胡弓楽にもたらすものと考えています。すでにリサイタルなどでの演奏を通 じて、何人かの胡弓奏者の方からご好評を頂きました。例えばN先生からは、「従来の胡弓の欠点を補い、またよい音」とのお言葉、また一般の方からも「暖かな音色」「包み込まれるような音」「しっとりとした品のある心地よい音」など、従来の胡弓では考えられないご感想も頂いています。

 前項の記述と重複しますが、特に胡弓と長く付き合い、胡弓のことを深く知っておられる奏者の方々、また逆に比較的年数の浅い門弟や、先入観のない聴者の方々には、好意的に受け入れて頂いています。

 もちろん「低音が胡弓らしくない」というご意見もありますが、この点に関しては先に述べた通 りです。

 

五絃胡弓の曲

 すでに五絃胡弓のオリジナル曲として、私自身の作曲による「AKUGARE(薩摩琵琶との合奏曲、合作)」「秋の序(独奏曲)」、沖縄胡弓との二重奏曲「二重の空」、また岡倉天心作詞、戸口純氏作曲のオペラ「白狐(五絃胡弓、ヴァイオリン、ピアノ、声楽)」が作られています。また五絃胡弓を使った「みだれ」「八重衣」「尾上の松」など古典地歌曲、箏曲の手付も行なっています。これからもオリジナル曲の増加をはかり、また様々な楽器との合奏の可能性なども探っていきたいと思っています。

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