vol.3 2003年9月〜

2007年

2月21日

たまに、思いもしない山が遠くから見えて驚いたり感激したりする。

先日、とても良く晴れた日に東海道新幹線に乗った。富士山もくっきりと眺められて素晴らしく、名古屋が近づいて来ると、御岳山がよく見えた。名古屋から御岳山が見られるのは前から気がついていたが、ずっと右手に中央アルプスが見えたのは今回がはじめてだった。更に眼を凝らすと、御岳の左側に同じような白い山が見える。位置から考えると、多分乗鞍岳だろう。

名古屋を過ぎて木曽川を渡る頃には、ますますはっきり分かるようになった。濃尾平野から乗鞍岳が見えたのは感激だった。乗鞍の西半分は現在松本市だから、名古屋から松本市が見えるということにもなる。

多分穂高連邦も望めるのだろうが、今回はそこまで分からなかった。

2006年

12月25日

五月蝿いクリスマス音楽が無分別に垂れ流しの時期もやっと過ぎた。どうして、日本人は信じてもいないキリスト教の行事であるクリスマスにこれほどまで騒ぐのだろうか。私はこういう傾向が大嫌いだ。敬虔なクリスチャンならばクリスマスは一年でもっとも大切な日、真剣に心からこの日を祝うべきだ。しかし信者でもない人間が本義もそっちのけで便乗して騒ぐのは、かえってキリスト教に対する冒涜以外の何者でもない。取り敢えずおめでたいからいいじゃない、と言うならば、釈迦の誕生日とされる花祭りはおろか、ムハンマドやゾロアスターや孔子や中山みきの誕生日だって同じくらい盛大に祝うべきだ。キリスト教でも別の日をクリスマスとしている宗派もある。とにかく非クリスチャンがクリスマスを祝う理由はまったくないし、本来宗教行事であるものを国民的行事として受け入れるのには、某神社への首相参拝よりも大きな問題がある。何しろ過去においてキリスト教の名のもとに行なわれた侵略戦争は挙げればきりがないほどだから。日本も例外ではない。安土桃山時代にはスペインやポルトガルにより侵略の危機にさらされ、江戸時代の海禁(俗にいう鎖国)によってかろうじてそれを切り抜けた。

ところが寿司屋でさえ、のべつ幕無しにクリスマスソングを流し、板前が揃ってサンタクロースの帽子をかぶる。こうなってくると異常としか思えない。結局私に見えて来るのは商業主義のえげつなさと、わけも分からずそれに踊らされる無邪気で脳天気なお人好しの国民というだけだ。しかし最近はこういう風潮が東アジア各国にまで広がりつつあるようで、良くない傾向だ。いい加減、こういう大人げない騒ぎはもう止めにしたい。もし国民にその自覚が生まれないのなら(主体性もなく踊らされているということに気づきもしない。つまりすでにほとんど感覚が麻痺し思考が停止している)、便乗騒ぎを煽っている資本側がもっと自覚をして自粛をすべきだろう。

もっともこれは今に始まったことではなく、昔からの日本人の御家芸だ。たとえば鰻は夏痩せの予防や眼の機能を良くする食品として非常に古くから知られていたが、土用の丑の日に鰻を食べる習慣は、鰻屋に頼まれた平賀源内が「土用は鰻」というコピーを考え出してからだと言う。そして、みんながやっていれば自分も右に倣え、で、それに何の疑問も抱かずに当たり前のこととして受け入れてしまう。まったく節操というものがない。そこには批判の精神が欠如している。日本人は昔からこういう一辺倒なことばかりやって来たのだ。その結果、バレンタインデーの義理チョコなどという世界的にみても異常としかいえない奇習まで生まれている。日本人はチョコ業界の戦略に見事にはめられてしまった。逆に言えば、日本人は素朴で騙されやすいのだ。更に最近は新たなあやかりもので国民をたぶらかして一儲けを狙う資本が、ハロウィンに眼をつけている。その点、日本人ももっと賢くならなければならないのではないだろうか。もうこれ以上無駄な踊りを踊らされないように。そして、もっと物事の根本を突き詰め、本質を見、本当に価値のあるものを見極める力を養わなければならないと思う。

 

11月28日

私は食べ物の好き嫌いが非常に少ない。和洋中華にエスニック料理、アルコールもカフェインも何でもいけるし、甘いものも好きだ。洋菓子や中華菓子も好きだが、特に和菓子には眼がない。さっぱりとして繊細な風味と豊かな季節感、見た目の美しさは和菓子の醍醐味だと思う。

去年、西船橋駅のコンコースが整備されて沢山の店が入ったが、その中に伊勢のういろうを売る店がある。ここのういろうがとても美味しい。よく知られているように、名古屋にも色々なういろう店があり、店により米粉で作るものや小麦粉で作るもの等いろいろあるが、この伊勢のういろは小麦粉から作ると説明されている。いろいろな種類があり、白、抹茶、よもぎ、ゆず、桜、小倉や、それらを層状に重ねたもの、数種類の小片を礫岩のように寄せて固めたものなどがある。ほんのりした甘さと風味で、もちもちとした食感が良くて、最近は西船橋駅を通るたびに買い求めている。

今日も教室の帰りにこの店の前で並んで順番を待っていたら、すぐそばで若い女性が携帯電話で「和菓子食べる? 羊羹だけど」と話しているのが耳に入った。えっ、これは羊羹じゃないんだけど、と思ったが、最近の若者は洋菓子ばかり食べるので和菓子を知らないのかも知れない。ういろうは名古屋、東海地方ばかりでなく、全国に似た菓子がある。とはいえ、東京ではあまりメジャーでないから無理もないのかもしれないが、菓子の世界でも洋風化がひたひたと進んでいるのかと思うと、寂しい気がする。「菓子」ではなく「スイーツ」という言葉を耳にする機会も多くなった。

私は洋菓子も好きだが、やはりちょっとしつこ過ぎるので、ケーキなどは二月に一度頂けば十分。でも大福とか饅頭、練り切り等の和菓子なら毎日でもいい。まあカロリーを考えてなるべく食べないようにしてはいるが、和菓子の魅力にはなかなか勝てない。事務のS君もどちらかといえば和菓子派なので、私としては心強い限りだ。

 

 

11月20日

猫の殺害画像をネット掲示したとんでもない人間が送検された。私はこのような人間を許すことが出来ない。本人によれば猫は小動物を殺すから許せないという主張だそうだが、そういう自分がはるかに弱い存在である猫を虐待して得意になっている。そんなのはナンセンスな独り善がりの論理で、「いじめ」そのものだ。だいたい野良猫は人間の身勝手が生み出したもの、猫達に何の罪もないはずで、責任は100%人間にある。犠牲となった猫の魂の安息を祈る。

私も中学生の頃いじめに遭った。今ほどは陰湿でなかったし、幸い両親の愛情に事欠くことはなく、また私自身が色々趣味を持っていて、そのことを考えていれば楽しく幸せだったので、いじめそのものを極端に苦にすることはなかった。しかしさすがに学校嫌いになり、登校拒否もした。当時はまだかなり画一的な教育であったし、欠席は罪悪にも等しい感覚があったから、それでも登校拒否したということは私にとってよほどのことだったのだろうと思う。さいわい、ある時転機が訪れた。それはクラス替えがあったからで、更に私が本格的に邦楽の稽古を始めたことがプラスとなった。何かしら一生懸命打ち込むものを持っていると、何となく尊敬(敬遠?)されるらしい。相変わらず変わり者とは見られていただろうが、それでも良い友達が出来て、いじめはまったくなくなった。しかし基本的に学校嫌いは治らなかった。そもそも一つのことに集中したい私のような人間には、まんべんなく学業全般にいそしまねばならない学校教育というものがまったく肌に合わないのだ。

世の中、ランキングが流行っている。私はそういう格付けが好きではなく、ブログでもランキングを誇ったりしているのを見ると嫌になってしまう。もちろん競り合い、競争も社会の進展、個人の成長のためには必要だが、しかしそれだけではない。チャンピオンも横綱も、そうでない人がいるから初めて成り立つということを忘れてはならない。

そんな経験もあって、私は門弟達を差別することもランク分けすることも一切しない。もちろんやる気がある門弟を励ましたりはする。まだまだ完璧というにはほど遠いが、なるべく相手の気持ちに立って考えたいと日々思っている。ただ、そういう私の姿勢を誤解したり取り違えたりする人間もいて、悲しい思いをすることもある。また世の中には叱咤されることを好む人もいる。そういうタイプの人には物足りなく感じられてしまうかもしれない。

 

10月17日

JR西日本の列車脱線事故で亡くなったある方と長い間親しくしていた人が自殺をしたという悲しいニュースがあった。これについて、婚姻関係にないから遺族ではないという意見のブログがいくつか見られる。しかしそれはおかしいと私は思う。もともと人間は社会的な生き物で、そもそも法律成立のはるか以前から家族というものは存在している。犬や猫だって、当事者にしてみれば大切な家族だ。まして十数年も共に暮らして深い心の絆で結ばれた人間同士を、婚姻の視点で差別するのはまったくおかしい。逆に、愛情もなく婚姻関係にある人間だっていないとは言えない。婚姻関係にさえあればたとえ愛情がなくても慰謝料を堂々と請求できるというのも変な話だ。形にとらわれて大切なものを見失わないようにしなければならない。家族の形態はいろいろ。婚姻関係もその中のヴァリエーションの一つに過ぎない。

 ブログは、冷静、公正で客観的な発言、議論がなされるならば素晴らしい場だと思う。しかし現実には自分の素性を明らかにしなくても良いから言いたい放題で、結果、生の感情が、ともすれば無意識に、熟慮されることなく堂々と表明されやすい。こういう人間が持つ「悪意」が無責任に多くの人の心を傷つけ続けて、悪意が更なる悪意を呼ぶ。こうなって来ると、まるでアクションゲームのように、人の心を傷付けることを何とも思わなくなってしまうのではないだろうか。

 私がいまひとつブログという存在を好きになれないのはそのあたりのためだ。

9月14日

 人間側の生き物が自然の生態系に干渉しない注意は必要だと思うが、都市内ですら、鳩は街頭から排除され、犬は自由に外を歩けず、猫も室内だけで飼う時代になった。どこまでも人間がすべてを管理する時代だ。犬や猫はそれで本当に幸せだろうか。むしろ昨今、もう少し「高等」な知能を持つ動物のほうが、よほど危ない個体が増えているような気がするのだが。

8月25日

 今更ながら、マスコミの凄さを感じさせられることが多い。あるスポーツの高校の全国大会で優勝した、ある学校の学生がしきりにマスコミで取り上げられ、人気が出て、その学生が使っていたハンカチまで問い合せが殺到したという。私に言わせれば「どうでも良いこと」に過ぎないと思うのだが・・・マスコミが煽ればたちどころに踊り出すマスコミ教徒たち。いやはやマスコミは恐ろしい。

 国際天文学連合(IAU)の惑星定義委員会で、冥王星が惑星から除外されたというニュースがあった。それについて様々なコメントが聞かれる。しかし冥王星は人類が発見し命名する何十億年も前から存在して太陽の周りを公転している天体である。人間のような、時間的にも空間的にも微々たる塵にも等しい存在が何と定義しようが、何も変わらず存在し続ける。惑星だろうがそうでなかろうが、別に大したことではないじゃないか。「惑星」などそもそも人間が勝手に決めたこと。だいたい、科学者以外の多くの一般人が惑星という存在について客観的なデータや定義を持っているわけではない。多くの人は惑星という存在を漠然と、ほとんどSF小説等から来るイメージ、ムードで感じているだけだ。大した客観的根拠はない。

 一方、科学というものはあくまでも客観的事実を分析し体系化する学問。だから科学者がデータの分析から決めた惑星の定義は尊重すべきで、それには従うべきだと私は思う。それはそれとして、あとは惑星というものを自分で好きなように考えれば良い。頭の中で冥王星をどう分類しようが何の問題もない。ただし、今回決められた惑星の定義も曖昧と言えば曖昧、カイパーベルト天体も古典的な小惑星もごっちゃにして矮惑星と呼んだりしていて、素人ながら私にも何か変に感じられるところもある。それなら同時に、天王星以上を大惑星、地球から水星までを中惑星と分けることも必要なのでは、と思ってしまったりもする。今後も惑星についてはすったもんだが続くだろう。

 たとえば「虫」といえば生物学的には昆虫類だが、本草学で言えばクモはおろかヘビやトカゲ、カエルも虫だ。「爬虫類」「マムシ」という言葉でもそれは分かる。獣でなく地を這う小さな生き物が「虫」という定義があっても全然問題はない。

 何よりも「惑星の座から転落」などという主観的表現を持ち込むことのナンセンスさを感ずるのは私だけだろうか 。ある新聞には「勘当の受難」などと書いてあって、大笑いしてしまった。人間の思い上がりも甚だしいと思う。人間がどう勝手に定義付けしようが、冥王星はそんなことには何の関係もなく、ただただ宇宙の法則に従って存在し運動するだけだ。

 小学5年生の時にアポロ11号が月に着陸した。この頃よく「夢がなくなった」などというコメントが聴かれたものだ。私はこういう考えが理解できなかったし、今でもよく分からない。何故かと言えば、私の心の中ではかぐや姫の月とアポロの月が何の矛盾もなく同居しているからだ。それはそれ、これはこれ。

 地動説を科学的に正しいことと知りつつ、心の中で天動説を考えても悪くはない。それどころか、自分が全宇宙の中心にいると思っているんじゃないかと思える人も時々見かける(ご本人はまったく気づいていないが)くらいの世の中だ。

 

7月13日

 向かいのマンションの一階に新しい飲食店がオープンして、今日はその呼び込みのチンドン屋さんが四人で一日賑やかにチンドンやっていた。携帯電話の着信音楽などはじつに五月蝿く不快に感じて私は大嫌いなのだが、これだけ賑やかなチンドンが少しも五月蝿く感じないのは何なのだろう。それはたぶん生きた演奏だからだろう。それどころか、あのチンドンを聴いていると思わず楽しくなって来てしまう。演奏もうまい。じっさいにPR効果は大きいようで、見ているとたいていの通行人は差し出されたチラシを受け取り、目を落している。私も少しチンドン屋の修行をするといいのかもしれない。

 

7月8日

 太陽暦だが昨日は七夕。折からの梅雨空でろくに星も見えないが、太陽系内の各域で活躍している探査機からの情報や美しい映像が満載のNASAのサイト「プラネット・フォトジャーナル」http://photojournal.jpl.nasa.gov/index.html を眺めるのは本当に楽しい。下の画像は、そこから拝借したもので、土星の環と衛星のタイタン(ティタン)、テティス、エンケラドゥス。逆光なので、太陽光がタイタンの厚い大気を輝かせ、また土星照がテティスを薄明るく光らせ、三日月状のエンケラドゥスの南半球からは氷が噴き出しているところまで見える。まったく幻想的な光景だ。まるでアール・デコのデザインのようにも見える。まだまだしばらくの間、探査機カッシーニは素晴らしい土星系の光景を楽しませてくれることだろう。

7月3日

 一昨日、昨日と、門下生の人たち数人と山形市とその周辺へ旅行した。天気は今ひとつだったが、山形市在住の門下生T君がすべてお膳立てをしてくれて、至れり尽くせりの、とても楽しい旅行だった。

 山形市を訪れるのは十数年ぶり(山形県としては7年ぶり)のことで、前回はまだ新幹線が開通していなかったので、今回は随分と近く感じられた。今回の目玉は有名なサクランボ。圃場に案内して頂いて、皆夢中になってサクランボ狩り。収穫はそれぞれ多々あったようだ。私もとても甘くて美味しい佐藤錦を、もう食べきれないほど賞味させて頂いた。他にも蕎麦や名水、また地元の人しか知らないような美味しいものが沢山。家庭料理まで頂戴して、豊かな恵みを堪能。

 蔵王にも行ったがガスで視界が悪く、残念ながら景色は見られなかったけれど、道ばたに咲くツマトリソウやウツボグサ、ツリガネツツジ、ゼンテイカなどの花々を楽しむことができた。日本一の規模という東沢バラ公園も、HTやFLがちょうど見頃、一面に芳香が漂い、それは見事だった。私の大好きなオールドローズを集めた一角もあったが、こちらはほとんどが四季咲きではないから、すでにおおかた花が終わっていて残念だった。

 都会では味わえない美味しい空気と水と人情、緑濃く、信州とはまた違ったゆったりとした景観、上山温泉のいで湯も気持ちよく、本当に久しぶりにのんびりとさせて頂いた。

一家総出で歓待してくれたT君とお母さん、お父さん、奥さん、子供たち、ありがとう。また来年会いましょう。

1月26日

 浅草の稽古場は、劇場である浅草公会堂の楽屋口の近くにある。この日はたまたま歌舞伎の千秋楽で、芝居の後、人気の若手役者が出て来るのを待つ女性ファンが大勢詰めかけていた。私には何にしても特定の人を崇める習慣がないので、そういう人たちについて、寒い中をなんともご苦労なことくらいにしか思えないのだが、素顔の贔屓役者を一目でも見たい、1mでも近くに寄りたい、あわよくばちょっとでも話ができたら、握手でもできたらというのがファン、追っかけさんの心理なのだろう。

 先日も韓国の某俳優が来日した時には千二百人のファンが成田空港に押しかけたというし、もちろんもっと多くのファンが集まる有名人もいることだろう。むかしビートルズ来日の時もものすごかった。プロスポーツの選手や俳優、ポピュラー音楽の歌手など、人気商売だから大変だ。あるいは例の若手社長なども、顔が売れていればいるほど、買い物はおろか食事や飲みに行く時などもさぞかし不自由なことだろう。まあ、ファンとして心を熱くできる対象があることは結構だ。有名人というのは叶わぬ夢を見せてくれる人でもあるのだから。場合によっては心の支えともなりうる。が、一般人もマスコミの垂れ流しばかり鵜呑みにせず、もっと自分だけの価値観で人を見てはどうかとも思う。

 邦楽の世界にもカリスマが必要という人がいたけれど、私は別に取り立てて必要とも思わない。そういう存在がいても構わないが、ルックスで売らなければならないほど邦楽の世界も落ちぶれてはいないだろう。正しい情報がきちんと伝われば、本当に好きな人が集まってくるはず。カリスマで目先のブームを煽っても、いつか必ず下火になる。そんなやり方よりも堅実、健全な方向で行くべきだ。

 私は人気などなくていいので、そういう所から遠く離れて静かで、なおかつ自分の思うように動き回ることのできる境遇にずっといたいものだと思う。もちろん今後も多分間違いなくずっとそうしているだろうけれど。

 

1月9日

 雪月花の筆頭に挙げられる美しい気象現象の代表であり、子供の頃には楽しく、青春時代にはロマンティックに思える雪だが、大人になるほど厄介な存在に変わっていく。この冬は早々と大寒波に見舞われて、大雪の被害があちらこちらに出ている。先月、たまたま名古屋に行った日が数十年ぶりという大雪だった。電車のダイヤの乱れに悩まされたものの、私としては驚くほどの量ではなかったが、名古屋市民の方はさぞかしびっくりされたことだろう。まして日本海側では平年の三倍という大量の積雪、さしもの雪国の方々も、降っても降ってもまだ降り積もる雪に、本当に大変な思いをされていることだろう。心からお見舞いを申し上げたい。

 そんなわけで、何人もの方から「松本の雪はどうですか」と心配のお言葉を頂いている。というか、これは毎年のことだが、結論から言うと市街地の積雪はゼロだ。郊外でも、先月少し降った雪が日陰にわずかに1センチほど残っている程度。こうお答えすると、たいていは信じられないといった表情をされる。もちろん心配して頂くのは大いに有り難いのだが、このように、一般的には信州というとなぜか雪国というイメージを持たれてしまっている。しかし実際には、雪の少ない地域が信州全体のおそらく七割以上を占めているだろう。もちろんごく北の白馬や野沢温泉のような、信越国境に近い地域ではそれこそ2メートルも積もるのだが、そういう地域は一部だ。

 信州は広く、特に南北に長い。そもそも海から遠く、3,000m級の北アルプスをはじめとして幾重にも高い山々に周りを囲まれた信州中部では、季節風が山を越すたびに除湿されてしまうから雪が降らない道理なのであって、このあたりは太平洋側の地域と同じである。特に今年は季節風の流れが、いつもの年よりも東西方向に傾いているのかもしれない。そのために若狭湾、近江盆地を経て東海地方に雪がもたらされたり、中部山岳の風下にあたる信州中南部や関東では、例年よりまして晴れる日が多いのかもしれない。

 もちろん、信州中部に全然雪が降らないわけではなく、10センチ程度までの積雪はたまにあるし、年によってまれに30センチほど積もることもある。また寒いので一度積もった雪はかなり長く残るし、春先に20〜30センチくらいドカッと積もったりするから(それでもその程度だ)、住民は雪にかなり慣れてはいるが、それでも雪国のあの雪に埋もれた白一色の景色とはまったく違う。かといって、冬でもつやつやとした緑に覆われた太平洋側の照葉樹林帯とも違い、すべてが茶色に枯れ果てた平地の彼方に、スケールの大きな山々が神々しく白銀に輝くという、ちょっと日本離れした独特の光景となるのが信州中部の冬である。

 たぶん、スキーのイメージなどを通じて信州は雪国という先入観が固定してしまったのだろう。また、なぜかテレビなどの天気予報では、信州の北にあって積雪の多い長野市の例しか表示されないことが多いので、それも誤解に拍車をかけていると思われる。このあたりも何とかしてもらいたいと思っている。そもそも県庁所在都市がその県の代表なのでは決してないのだから。とにかく毎冬、松本は雪が少ないことを説明するのも結構しんどい。

 それでも、昔はもっと雪がたくさん積もったという人が多い。しかし長年気象を研究している人によれば、今と昔でそう大した差はないらしい。それではなぜ、多くの人が昔の方が多かったと思うのか。それはつまり、幼い頃は子供の身体の尺度で雪を体験するからだという。なるほど、納得。

 とにかく信州の大半は雪国ではない、ということを是非知っておいて頂きたいと思う。

 

 

2005年

 

12月29日

 本当にいいかげん勘弁してほしいと思うほど、街なか中垂れ流しだった、しつこくて五月蝿いクリスマスソングもやっとなりを潜めて、ようやく年末らしい雰囲気がそこここに漂っている。

 昨日から大掃除をしているのだがなかなかはかどらない。どうしてこんなに荷物があるのだろうと思うほど。それをまたどういうふうに整頓すべきなのか、色々考えたり、同時にほかの雑用も済ませたりしながらなので、いっこうに進まない。ちょっと一休みの間に、日頃持ち歩いている鞄の中も整理してみた。私は整理整頓が得意ではなく、いつもその中に入れて持ち歩いているはずのものが、いざという時に限って入っていなかったりして、慌てることがしばしばあるが、逆にいつも必ず入っているのに一度も実際の役に立ったことのないものもある。そのいい例が「割り箸」だ。なぜ割り箸を鞄の中に持ち歩いているのかと言えば、私は特急列車や新幹線に乗ることが非常に多く、よく駅弁を食べるからである。まあ、食いしん坊であるからとも言えるけれど。

 以前、弁当を食べている時にうっかり箸を一本落としてしまい、とても難儀したことがあった。またある時には隣の席に座った人が、食事中に箸が途中で折れてしまい、仕方なく折れた箸で食べていたら、何ともご丁寧なことに更にまた折れてしまって、結局クレヨンほどの長さという状態で食べるはめになってしまったという、笑うに笑えない事態を目撃したこともある。だからそんな時の為にと、二膳の割り箸を鞄の中に潜ませているのだが、実際そうめったにあることではないので、もう何年も出番がない。もうやめようかとも思ったりもするが、そういう時に限って必要になったりする。だから結局、やはりこれからも持ち歩こうということになる。「備えあれば憂い無し」だ。そうそう、これを来年のスローガンにしよう。

 

 

12月12日

 米国ウィスコンシン州に住む雌猫エミリーが九月の末に行方不明になった。それから約一ヶ月後に、彼女がなんとフランスで見つかり、一ヶ月間の検疫を無事通過して自宅に戻ったというニュースがあった。コンテナの中に迷い込み、そのまま船に乗ってフランスまで行ってしまったらしい。行きは貨物船の中でさぞかし不安な日々を過ごしたことだろうが、帰りは航空機のファーストクラスだったという。何よりも無事に家に帰ることができて本当によかった。動物好き、猫好きの私はこういう話にいたく感動してしまう。先日、ドイツで就寝中の家人に火事を知らせて命を救った犬がいた。しかしその犬は焼死してしまったというニュースもあった。日々人間と生活を共にする動物たちにも、じつにさまざまなドラマがある。

 そもそも猫には放浪癖と強い好奇心があり、これが悲劇の原因となることも少なくない。私も共に暮らした猫のうち、何匹かは行方不明になっている。彼らが今でもどこかで元気に暮らしていることを願っているが、人間社会の環境が決して動物たちに優しくないのは事実である。野生動物にも、共棲動物にも、もっと優しい配慮がほしいものだ。

 

11月28日

 関西では以前から行なわれているが、最近、首都圏の鉄道でも女性専用車両を設ける会社が多くなった。それはそれでいいのだが、私がいつも不思議に思うのは、なぜそれに見合う男性専用車両が設けられないのかということだ。たいてい、乗客の過半数は男性である。女性の方が多いということはあまりない。つまり、女性専用車両から閉め出されることで、ただでさえ割合の多い男性が残りの車両に詰め込まれることになる。まあ一両分の男性の数が残りの車両に分散し、その分の女性が専用車両に乗るわけだから、実質的に混雑度に変わりはないかもしれない。また男は本来そういうことに頓着がないのかもしれない。でもこれは差別ではないだろうか。よもや男系天皇や大相撲の見返りというわけでもないだろう。問題は男性側に選択肢がないことだ。混雑時、女性の化粧品の匂いが鼻についたり、長い髪が顔にかかってきて不快な思いをすることもあるし、いやでも身体に触れてしまい、あらぬ誤解を受けられてしまうことだってある。それで痴漢呼ばわりされたらたまったものではない。でも男性側には選択肢がない。

 そんなこともあるから、私は男性専用車があってもいいと思う。ただ、もし男性専用車両ができたとしても、それを敬遠する男性もいると思う。男ばかりで詰め込まれるなんて嫌だと思う御仁もいるだろう。でも、なぜ女性ばかりなら良くて、男性ばかりは駄目なのか。つまり「女性専用車両」しかないのは、やはり男の立場、男の視点をあくまでも中心に考えられているからなのではないだろうか。なぜならば、女性ばかりの車両なら、外から窓越しに見るだけでも男性の「鑑賞対象」になるからだ。結局すべての物事は男の勝手で考えられている。管理するのはすべて男。女性の皆さん、「女性専用車両」だからといっていい気になっていてはいけませんよ。

 

7月23日

 首都圏を久しぶりに大きな地震が襲った。そのとき、私は稽古の帰りで、震源地に近いJR京葉線の新浦安駅にいた。駅ビルの書店で本を物色して、さあぼつぼつ戻ろうかと一階の出口に向かいかけたとき、 突然ドーンという大音響と共に大きな揺れが来た。それは下から突き上げるように 来て、一瞬ふらつくほどものすごく揺れ、短い時間で終わったが、女性客の何人かからは悲鳴が上がり、いっとき騒然となった。あまりに短かったので、地震なのか、何かが爆発したのかそれとも衝突でもあったのかよく解らなかったが、とりあえず地震ならば第二波が 来るかも知れないので身構えて待ったけれど、しばらくしても何もなかったので、おそらく電車は止まってしまうだろうと思い、駅前広場に出て用心しながらタクシーに乗った。

 車の外の景色は普通の週末の街の様子と変わりなく、犬を散歩させたり、買い物袋を下げたりした人たちがごく普通に行き交い、ついさっき地震があったとは思えないほどののどかさだ。しかしこの時間、家には事務のS君がいるはずなのに、携帯電話がまったくつながらない。やはり回線が混んでいる。15分ほどしてようやくつながり、様子を聞くとけっこう大変だと言う。

 私の東京宅はマンションの十階にある。 マンションに着くと、まずエレベーターが止まっていた。十階まで久しぶりに階段を使って上がり部屋に入ると、確かにけっこう大変な騒ぎになっていた。棚の高い所からはいろんなものが落ちて散乱し、足の踏み場もないほど。特に書類やCDがひどかった。またタンスの引き出しは大抵みな飛び出している。陶磁器やガラス器などはほとんど無事だったが、電子レンジやコーヒーメーカー、いくつかの鉢植えは落ちてひっくり返っていたし、稽古部屋では箏が一面倒れていた。外は拍子抜けするほどのどかな夏休み、そして週末の風景。その大きなギャップが、夢でも見ているような錯覚を起こさせた。夜になってようやく鉄道の運転も再開されたが、マンションのエレベーターは結局復旧せず、何度も階段を昇り降りすることになった。

 首都圏でも場所によっては揺れ方に違いがあり、またあまり大したことのない所も多かったようだし、阪神淡路、中越、北海道西部など、大地震に見舞われた方々の辛苦はとてもこんなものではないだろうが、それでも私の所では改めて地震の怖さを思い知らされることになった。まだこの程度で幸いだったと思わねばならない。ほんとうに地震はいつ来るのか見当もつかない。その意味では、良き警告、教訓となったと思う。やはり天災は日頃の万全の備えが大切だと思い知らされた出来事だった。

 

11月11日

 大型店などに行くと、すでにクリスマスの音楽を流したり、クリスマスの飾り付けをしているところがある。いくら何でも早すぎないかと思うのに加えて、こういう風潮に私はいつも顰蹙している。

 というのも、私はクリスマスには特別何もしない。理由は二つある。一つは、あやかり商法に乗るのが嫌いなこと。二つは、クリスチャンではないことによる。なぜ、信者でもない人間がああまでして騒ぐのだろう。どうして「クリスマスにはなんたらかんたら」という、どうでもいいようなあやかり商法に乗せられて散財するのだろう。飲み会の口実なんて最悪だ。

 いってみれば、クリスマスとはキリスト教徒にとって最も大切な日であるはず。心からキリストの教えを信ずる人が、救い主の降誕を敬虔に祝い祈るべき日ではないかと思う。信者でもない人間が、それ以外の目的に大切なクリスマスを利用するのは、むしろキリスト教に対する冒涜ではないかと私は思ってしまうのだ。便乗して飲み騒ぐなどもってのほかと思う。「楽しければいい」などというのは不謹慎である。

 私は一応仏教徒で、キリスト教は信じていない。二十代の終わり頃に非常に悩んだ時があり、その時に仏教を勉強することで大いに救われた。特に在来の宗派とか新興教団に入信したのではなく(家は在来の宗派に属しているが、それとは別に)、ブッダが説かれた原初の教え、そして「空」の思想を勉強したのである。歴史的権威にでかでかと腰を据える既存宗派や強引に入信を迫る新興宗派、怪しげな祈祷や秘術で真面目な人間を誑かすカルト教団などとはまったく関係がない。そこには先祖崇拝もなければ現世利益もなく、まして奇跡も存在しなかった。だからそれは宗教というよりむしろ実践的哲学のようなものだ。もちろんまだまだその片鱗に触れた程度だが、以来、私はブッダの説かれたことを是として心の支えとして来た。その意味で仏教徒だと思っている。

 もちろん聖書の言葉にも素晴らしいものが多い。尊敬すべきキリスト者も沢山いる。私はキリスト教を信じてはいないが、深く尊敬している。だからこそ、クリスマスに便乗することに強い罪悪感を感じる。だが偉いお坊さんに言わせれば、そんなことにこだわるようでは本質を会得していないということになるだろう。そう、つまらぬこだわりに固執するのは正しくないのだ。だが未熟な私はどうしてもこだわってしまう。やっぱり今年もクリスマスには便乗しない。しいてすることを挙げれば、クリスチャンの友人にお祝いのクリスマスカードを贈ることだ。

 

11月3日 

 気象の世界で「晴れの特異日」と呼ばれる今日11月3日だが、今年も穏やかな晴天に恵まれた。確かに、記憶をたどってみてもこの日に雨が降ったのは二回程度だ。例年通りの気候だとほっとひと安心するこの頃だ。

 もともと私は暑がりで汗かきなのだが、一昨日、大阪の教室に行った際に、東京よりもずっと暑く感じ、特に厚着をしていた訳でもないのに大汗をかいた。体調も良くなく、翌朝起きたら身体の節々が痛く、食欲がまったくない。どうも大汗で身体が冷えて風邪をひいてしまったらしかった。私の体質にもよるのかも知れないが、この頃暑く感じることが多い。冷感体質の人はすでにマフラーやジャンパーで身を固めているが、私にはまだまだ不必要だ。

 それにしてもこう、身にしみて「温暖化」を感じるようになって来ているのが恐ろしい。

 現在、世界中で氷河の氷が減少している。このまま温暖化が進めば、2070年には北極の氷がすべて融けてなくなってしまうという。この温暖化の原因は、かつての産業革命以来、今日までに排出された過剰な二酸化炭素の働きによるものだそうだ。つまり、この二百年ほどの間に蓄積された炭酸ガスによっているわけで、それだけでこんなに急激な気象変化が起きているのだから、現在溜まり続けている二酸化炭素の影響が数十年から百年後に出てきたら、これはもう大変なことになってしまうだろう。これまでに排出された炭酸ガスのうち半分弱は海水に吸収されたというが、あまり大量に海洋に溶け込むと酸を生じ、海洋生物にも大きな影響が生じることになる。

 もう戦争だとか、イデオロギーだとか、宗教だとか、そんなことで人類が諍いをしている余裕はない。燃焼力に頼らないエネルギーシステムへの移行とか、余分な炭酸ガスを大気中から回収する装置の開発など、一刻の猶予もなく、全世界が協調してあたらなければならない。もちろん一人一人が環境に配慮した生活をすることがまず基本だ。

 人間はあらゆる動物の中で最も高級であるような言い方を耳にすることが多い。しかし、もしこれで人類の文明がガタガタになってしまうようならば、恐竜が食物連鎖の天辺に君臨したのが数千万年間なのに比べて「三日天下」にもならない、何ともお粗末な結果となる。はるか未来、もしもまったく別の知的生命が栄えたとしたら、そんな人類という過去の生物など、しょせん遺伝子の失敗作に過ぎなかったと物笑いの種にすることだろう。

 

10月12日

 最近、毎年なにかしら異常気象が起きているが,、今年もどうも気候がおかしい。記録的な猛暑、大雨、頻繁に発生する台風、このままいくと本当に地球がおかしくなってしまうのではないかと本当に心配になる。

 もっとも、地球の長い歴史の中では、温暖化が危惧されてはいても現在の気候はまだ寒い方なのだという。中生代には今より暖かい時期が多く、そんな時は極地にさえ氷がなかったらしい。また気候の変動もかなりなもので、生物が現われてからでも全球が凍結したり、逆に高温になったりしたこともあるという。要は、少しでも気候の変動があるだけで、人間の生活や生態系に大きな影響が起こるのが問題なわけだ。

 この頃、各地で熊による被害が発生しているのも、今年の気候のせいだという。今年は熊の食料になるブナなどの実が極端に少なく、食べ物を求めて里に下りて来てしまうかららしい。熊は「猛獣」で力の強い獣だから、うっかり遭遇してひっかかれただけでも大けがになり、命にかかわる場合もある。被害に遭われた方は本当にお気の毒だ。

 しかし、熊の方も気の毒である。射殺された中にはげっそりとやせて動けなくなっていた熊もいたとか。山の食糧難はよほど深刻なのだろう。仕方なく人間のテリトリーに侵入すれば、多くの場合危険ということだけで射殺されてしまう。麻酔銃で眠らせて山に戻すという手もとられてはいるようだが。もちろん被害が広がっては困る。しかし、その原因となった異常気象が、人間のせいで起きているとするならば、むしろ人間のほうが加害者で熊が被害者なのである。山では熊も生態系の一員だ。明治にオオカミが絶滅させられて以来、おそらく日本の自然界で生態系のトップに位置する動物だろう。熊がいなくなれば、オオカミの絶滅によって崩れかけている日本の生態系もますますめちゃくちゃになってしまう。

 そもそも日本列島に棲むようになったという点では人間の方がはるかに後輩である。そんな新参者の人間ももっと謙虚になって、何とか熊や猿と共存できるようにできないものだろうか。当然口で言うほどたやすいものではないにしろ。

 

8月7日

 昼下がり、蝉時雨の道を通った。いや、時雨などという生易しいものではない。土砂降りか洪水といっていいほどの、たいへんなかしましさだ。蝉の声以外何も聴こえない。どの木にもアブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシなどの、命の限りに鳴く声が暑さに溶け込んで、頭の中にじんじんとしみ込んでくるようだ。一瞬、クラっとして気が遠くなりそうになったが、その時さまざまな夏の思い出が、深海から沸き上がる泡のように、心の深いところからパッパッと蘇って来た。潮騒などを聴いている時でもそういうことがある。自然の音は巧まずして素晴らしい。

 コンビニの店内などで、けたたましくうるさいだけのBGMを嫌というほど聴かされる苦しさに比べたら、蝉の声の方がどの位ましなことか。自分の作る音楽もまだまだ蝉一匹にさえ及ばない。

 

8月5日

 私はどうも今の人の世にあまり興味がなくていけないと思うのだが、最近とても楽しみなのも、やはりアテネオリンピックではなく、火星や土星での探査機からの画像や情報だ。現在火星ではマーズ・グローバル・サーベイヤーやマーズ・エキスプレス・オービターとローバーのスピリット、オポチュニティが活躍中、そして土星には6月末にカッシーニが到着した。いずれも調査とともに美しい画像を次々と送って来てくれている。NASAのサイトには、ほぼ毎日、これらの惑星やその衛星たちの画像が新しく加えられていて、毎日覗くのがこの頃の楽しみとなっている。日本の火星探査機「のぞみ」が不成功に終わったのはとても残念だが、先日、実に30年ぶりに水星探査機のメッセンジャーも打ち上げられた。カッシーニの探査もこれからが本番だ。当分の間、火、土、水と、様々な惑星やそれらの衛星たちのいろいな情報が楽しめることだろう。

 今の世の中、いろいろ嫌なことも多いけれど、何億キロも離れた惑星の風景が、まるで手に取るように眺められるなんて、これだけをとっても、いい時代に生まれたものだと幸せに思う。

 わずかのお金のために、ちょっとした感情の行き違いのために、そして宗教やイデオロギーの大義のために、世界中で毎日多くの命が奪われているのが現実。あの戦争が終わって六十年近くなろうとしているのに、いっこうに人間は懲りないものらしい。

 宇宙はあまりにも広い。今人類は科学を通じて大きな視野を得つつある。土星などまだほんの鼻先に過ぎない。いうまでもなく人間などあまりにも小さい。それを自覚して、こせこせした煩瑣なことどもに振り回されず、「種」としてもっと成熟しなければならないと思う。

 

8月4日

 今も、何故だろうと思う。なぜ私は邦楽に、胡弓や三味線に惹かれたのだろうか。今を去ること30年ほど前、音楽と言えば、思春期まっただ中の年頃、同級生たちはみな、いわゆるニュー・ミュージックとか、アイドル歌手に夢中になるか、ピアノなどクラシックに打ち込む連中も少なくなかった。そんな中で、私はなぜか日本の伝統音楽に強く魅了されてしまった。それも、当時次第に盛んになりつつあった現代邦楽よりも、古典の方に強く惹かれた。 箏曲や雅楽、平曲(平家琵琶)などを聴きまくっては悦に入っていた中学生など、そうざらにはいなかっただろう。とはいえ合唱部で「美しく青きドナウ」などを歌っていたし、絵を描いたり植物を育てることもずっと好きだったが、私の青春時代は、何よりも邦楽と共にあったといっても言い過ぎではない。

 このころは、故・小泉文夫先生らにより世界各地の民族音楽が紹介されたり、クラシックではバロック音楽が再認識され始めた時代でもあった。イ・ムジチの「四季」などがもてはやされていた時代だ。いっぽう邦楽の放送も今よりずっと多く、今ではめっきり少なくなってしまった、古典の名手の先生方も多数活躍されていた。こうしていろいろな音楽を聴く機会が増え、邦楽ばかりでなくインド音楽やガムラン、クラシックなども好きになった。その後、アジアの音楽に対する興味はずっと続き、「タブラ」というインドの素晴らしい打楽器を少し習ったのは二十歳の頃と記憶している。このほかエスラージ、バンスリーなどいくつかのインド楽器を手に入れたが、結局今に至るまで習うところまでは行っていない。

 当時はまだ中国音楽に関する情報はきわめて少なく、二胡を研究するのに神保町の中国書店を探し歩いて、何冊かの二胡教本、楽曲集やモノラルのSPレコードを数枚手に入れるのがやっと。楽器も中国に行った友人に頼んで買って来てもらった。習ってみたくても教えてくれる先生もなく、漢字だらけの香港製教本にチャレンジしたりしていたのを覚えている。これはなかなか優れた教本で、お陰で随分と二胡を知ることができた。これもやはり30年ほど前の話だ。ただそんな中から、やはり私にとって中国音楽の方向と自分の指向とは違うらしいことを次第に感じるようになり、今では古琴のような、本当に古くからの中国伝統の精神を伝えているようなものを聴くに留まっている。

 クラシックでは、ロマン派以降のモダンクラシックには、印象派を除いてしっくり感じないことがわりと多かった。音楽の良さとか演奏の素晴らしさは分かるのだけれども。いっぽう古楽に対する興味は今もずっと続いていて、CDのコレクションもバロック、ロココのものが最も多い。スピネット、リュート、ヴィオールも持っているし、ヴィオールは多少演奏も楽しんでいる。なぜ古楽が好きかと言えば、必要以上に押しの強い表現がなく、感情に左右されすぎず、またガット弦の響きの繊細さや指穴だけの管楽器のもつ曖昧さが、ちょうど和楽器の音にも共通するからなのだろうと思う。

 ポップスなどは、二十歳を過ぎて聴く機会を得て、はじめて本格的に良さが分かった。いわゆるシンガーソングライターの歌など、一時はずいぶんといろいろ聴いたものだが、感動が長続きしなかった。ロックは、一度聴きに行って、しばらく耳がおかしくなってしまい、それ一回で懲りてしまった。 今でももっとも理解の難しい音楽の一つだ。

 こうして、これまでいろいろな音楽に首を突っ込んで来たが、結局やはり巡り巡って、やっぱり今も古典邦楽の好きな自分がいる。バッハもモーツァルトもそこそこ知っているつもりだが、光崎検校や吉沢検校、石川勾当や八橋検校、宮城道雄などを知っていることが、とても幸せであると感じる。彼らの作品が決して過去の遺産とは思わない。今に生きている音楽であると思う。近世江戸時代の人々の心は、十分に今の時代にも通っているし、国際的に通じないことはないと思う。つまりそれなりの普遍性は持っているはずだ。もちろん、私たちが知っている古典曲はごく一部であって、すでに時代に淘汰されてしまった曲も少なくない。それでも、数百年の時流を耐え抜いて今日に伝えられている曲たちは、やはり素晴らしいと思う。

 最近の演奏会で、ほとんど現代曲ばかりで古典曲を一曲加えたプログラムを見ることがある。古典を一曲加えることで、内容を総華的にしたり、幅や重さを加えているのだろう。しかし私はそのようなやり方が、どこか古典曲を形骸化、形式化させているように思えてならない。現代曲なら現代曲だけでプログラムを組んだ方が良いのではないかと思ったりもする。

 音楽は世界共通語、とよくいわれる。一面では確かにそうとも思うが、音楽は文化であり、文化は伝えられ教えられるもの、つまり先天的なものではなく、後天的に与えられなければならない。例えば、知能や社会の発達した動物において、出産、子育ても文化だ。猿社会から隔離して育てた猿は、自分が子を産んでも、それを子として認識せず、育てようともしないという。人間の社会でも最近しばしば同じような現象が起きていないだろうか。

 それはさておき、音楽においても、人は「聴き方」をも学ばねばならない。どんな音楽でも、まず感覚でその良さを感じるものだが、文化として蓄積の長い音楽ほど、聴くための美的解法を必要とする。消化酵素といってもいい。そうなってくると、たんにちょっと聴いただけ、つまり一次的な感覚だけでは容易に良さが分からない。解法に従った感性と知性の共同作業によって、はじめてその美が感得される。それ専門の消化酵素によって分解されてはじめて吸収されるわけだ。古典邦楽にもやはり独自の解法、消化酵素がある。だから特に最初のうち、ただ感覚に頼って古典邦楽を聴いているだけでは、なかなかその美が理解できない。またほかの解法、例えばモダンクラシックの解法では、邦楽の美を正しく感得することは不可能なばかりでなく、誤解のもとともなりうる。いまその邦楽特有の解法が、きちんと伝えられ教育されていないのではないだろうか。文芸でも、枕詞とか縁語など古典的な技法は現代ではほとんど馬鹿にされているが、その解法が理屈としてではなく、もっと生きたものとして教えられれば、古典文学ももっと活き活きして感じられるようになるだろう。

 それを思うと、やはり何故なのだろうと思う。私は誰にも邦楽の聴き方を習った覚えはない。家もことさらに音楽的な環境ではなかった。それなのに、電撃に打たれたかのように、ほとんど突然古典邦楽が好きになった。修行が足りずなかなか思うような演奏ができないのは棚に上げておくとして、なぜ私が古典邦楽を好きなのか、は、自分自身で是非解き明かしてみたいと思う謎だ。

 それにしても、長いようでいて夢のように過ぎ去ってしまった30年の日々。日頃気持ちは昔とそう変わらないつもりだけれど、青春時代への追憶に久しぶりに浸ってしまった今日だった。

 

6月22日

 南アルプスの前山で、熊に襲われた主人を助けようと、熊をおびき出してそのまま行方不明になっていた犬「ナナ」が無事帰って来た。怪我もなくて本当に良かった。先日も、北アルプスを登山中に亡くなった主人の亡骸を守って、何日もそばを離れなかった犬のニュースがあったばかり。ずいぶんと前の話だが、松本市の深志高校には、全校のアイドル的存在で職員会議に出たり、亡くなった時には校長が弔辞を読んだという有名な犬「クロ」がいて、最近映画にもなった。

 忠犬ハチ公に名犬ラッシー、犬という動物の話には、もともと社会性のある動物だからといえばそれまでだが、感動を呼ぶものがとても多い。私はもともと動物好きで犬も大好きだから、子供の時から犬を飼いたかった。よく近所の犬たちと遊んだものだ。今でもいつか飼ってみたいと思っているのだが、まだ実現しないでいる。もちろん愛情を持って大切に育てて、しつけもきちんとしなければそうはならないだろうし、動物と一緒に暮らすにはいろいろ大変なこともある。が、主人を守ってくれる犬なんて格好いい。

 犬に引き換え、うちの猫など、家の人間が苦しがっていても間違いなく知らん顔をしていそうだ。呼んでもめったに来ないし、自分の好き勝手に生きている。火事を知らせた猫を新聞記事で読んだことがあるが、一般に猫は実に気まぐれでいつも自由、そんな生き方の典型的な動物である。でもそのあたりがまた猫の魅力でもある。肩に力を入れず気ままにに生きている猫たちを見ていると、本当に飽きないし何かほっとするものがある。何の役に立たなくても、それだけで十分に価値がある。

 性格からいって、私もどちらかといえば犬よりも猫に近いのは間違いない(事務のS君によると、私は形態的にイヌ科のある動物に一番似ているということだが)。猫はけっこう気まぐれだし、命令されるのが嫌い。団体行動も好かない。また子供があまり好きでない。そのあたり私とまったく同じだ。一日の半分以上寝ているのもうらやましい。私はあの世に行ったらもう二度とこの世に生を受けたいとは思わないが、もしもどうしても転生しなければならないとしたら、飼い猫がいい。

 猫の嫌なところは、残虐性があるところ。もっともこれは肉食性の動物にはある程度共通していて、犬もそうだし、人間など最たるものだ。人間ほどえげつない生き物はない。映画「エイリアン2」の原作で、冒頭、主人公リプリーと猫のジョーンズだけが生き残って冷凍催眠状態の場面で、ヒトとネコの両種に共通しているのは残虐性だと述べていたが、全くその通りだ。その残虐性の権化がエイリアンなのだろう。

 でも、やはり猫の魅力には勝てない。さっきはいくら呼んでも知らん顔で、まったく勝手な奴だと思っていても、この小悪魔がふと足にまとわりついて、甘えた声を出そうものなら、たちどころに文字通り猫撫で声になってしまう自分が可笑しい。

 

6月13日

 このサイト作成やメール、3D作成、雑誌の連載原稿書きなど、主に使っていた愛用のパソコンPowerBookG4が壊れてしまった。多分ハードディスクは問題ないと思うのだが、蝶番が壊れて、ディスプレイへの配線に不都合が生じたらしく、ディスプレイが何も表示しなくなってしまった。私はMacintoshが好きなのだが、この会社(某A社)の、修理、メンテナンスについての対応のまずさについては定評があって、修理をめぐっていろいろあった挙げ句、未だに治っていない。

 私はひんぱんに松本、東京の家と、更に大阪を行き来している。それぞれの家にはデスクトップのMacがあるが、メールやサイト管理、原稿書きなどは持ち歩きのできるノートでないとならないので、主使いはPowerBookとして、常に持ち歩いている。そんなわけで既にひと月、サイトに手を入れられない状態が続き、それも困るので、とりあえず数日前からサブ機のPowerMacG4でサイトの管理やメールをしはじめた。これは東京宅に置いてあるので、松本宅にいる時にはサイトに手を入れることができない。またホームページソフトも、最新のバージョンを改めて買うことになった。ところが、今度は最新の OSX Panther でないと対応してくれない。結局、OSもバージョンアップすることになり、ずいぶんと出費がかさんでしまった。

 まあ、これでせっかくのPowerMacG4も、フルに活用できるというものだ。ディスプレイも20インチと大きいので、とても使いやすい。

 

 さて、この時期、松本の家には特に朝早くカッコウが飛んで来て、その声がよく響く。近所の屋根の上で鳴いていたかと思うと、別の木に移っては鳴き、またほかに飛んで行っては鳴き、私の庭に来ては鳴き、しばらくの間声を響かせてやがてどこかへ飛んで行ってしまう。その声はさわやかで気持ちがいい。

 この類はウグイスなど他の鳥の巣に卵を産んで、子育てを任せてしまう、「託卵」という育雛法をとるそうだ。カッコウのヒナは一足先に孵化して、他の卵を巣の外に押し出して捨ててしまう。人間の尺度からいうと何とも無責任な、ずる賢い鳥に見える。しかし鳥に人間の価値観を当てはめても仕方ないことだ。現実に、カッコウがすべての巣に託卵していたら、カッコウそのものも存在できなくなってしまう。過酷な中にも自然のバランスは取れているのだとつくづく感じさせられる。

 これに似た話は推理小説にもしばしば出てくる。カッコウからヒントを得たのだろうか。

 

 

4月5日

 この冬は暖冬気味だったらしいが、私としては引っ越しもあったせいか妙に長く、寒く感じた。ようやく訪れた春の喜びはひとしおだ。

 寒暖の差が大きいせいか、染井吉野も個体によって開花にかなりのずれがある。同じ場所に植えられていても、すでに散りはじめたものもあれば、これから満開になるものもある。

 今宵は満月、東京では何年に一度もない、素晴らしい花月夜となった。都心ではもうかなり散ってしまっているが、このあたりではちょうど満開から散りはじめというところ。近くの公園で夜桜を楽しむ。皎々と輝く月と満開の桜は本当に良い取り合わせだ。こんな夜は世の中がすべて美しく思えてしまう。もちろんその雰囲気の片鱗も写 ってはくれないけれど、写真を撮ってみた。こんな美しい宵が訪れるのは何年先になるか分からないから、せめてもの思い出に。

 

4月2日

 松本市の新しい市民会館「まつもと市民芸術館」が完成し、3月21日に舞台開きがあり、謡曲素謡「鶴亀」、長唄と舞踊で「雛鶴三番叟」、三曲演奏「松竹梅」が披露され、私は三絃を演奏した。市長も裃姿で一番太鼓を披露した。本格的な運用は8月のサイトウ・キネン・フェスティバルからということだ。

 以前の市民会館ホールが老朽化(私と同い年だが)して、同じ場所に立て直されたものだが、はるかに大きく、総面 積一万八千平方メートル、地上7階、地下2階の巨大な施設となった。地方都市のホールとしては破格の部類で、建設費や維持費も莫迦にならず、ずいぶんと反対意見も多く、物議をかもして完成までもめにもめたが、出来てみるとやはり大変に立派である。私のような種目だと大ホールを使うことはめったにないものの、とても豪華な大ホールだ。舞台はオペラでも楽にできる4面 分の広さ、とにかく広い。天井も非常に高くて、客席は5層でヨーロッパのオペラハウス風、客席の天井は可動で高さを変えて中ホールとしても使用できる。客席から舞台をはさんで反対側にも可動式の座席があり、実験劇場として使用できる。小ホールや三つのスタジオもあり、まず至れり尽せりといった感じだろう。これで和室の楽屋があればわれわれには助かるのだが。ついでにできれば能舞台もあれば・・・

 市内にはこのほか極めて音響の良い音楽文化ホールや県の文化会館、その他中小のホールがいくつもあり、そんな沢山のホールを大編成の音楽、小編成の音楽、舞踊やオペラ、演劇、学会や会議など、用途によって使い分けることができるという、大変に贅沢で恵まれた環境になったことは有り難いことだ。

 

 前日の20日に写真を撮ったので、少し紹介しておきたい。まずは正面 口。上から見るとギターケース状の建物となっていて、これはケースの頭の部分。正面 のメインエントランスが駅前通りに面している。この部分はもともと私の師、故青木嘉女野先生も設計に加わり自らライラックの木を植えた公園で、その奥に旧市民会館があった。大ホールはずっと奥、黒いところが舞台の上部、さらにその向うのカーブの部分に客席がある。ちょうどこのあたりに旧市民会館は建っていた。これまでの公園を潰してしまった分、屋上に庭園が作られた。

 

 2階のシアターパークから1階正面口、メインエントランスを見たところ。エントランスも、そこからゆるゆると昇って来る階段も、そしてシアターパークも、みな非常に広々としている。当然だがエスカレーター、エレベーターもついている。上の黒い部分が小ホールで、その向こうがレストラン。この向きの逆側、つまり後ろに大ホールとホワイエがある。

 

 最上層のバルコニーから見たヨーロッパのオペラハウス風の大ホール客席。馬蹄形のバルコニーは2階から5階まで4層ある。最大1800席、客席の天井は上下に可動で、中ホールとしても使えるとか。この画像だと暗くて良く分からないが、ワインレッドの色調が間接照明に映えて重厚かつ華やか。舞台に向かって黒みを増しており、視線を自然に舞台にいざなう設計になっているという。床は黒い板張り。エントランスやホワイエ、楽屋は気泡のような明かり取りがあって明るい感じだが、こちらは打って変って濃密な空間になっている。最上層のバルコニーの手すりは視界を妨げないために低くできているが、ちょっとよろければ下まで落ちてしまいそうで怖い。

 

 中には入れなかったが、パンフレットによると小ホールは300席で、邦楽の演奏会にはちょうど良さそうだ。

 建設反対の意見も多かっただけに、完成した上はこれだけの立派な器が市の宝のひとつとして長く親しまれてほしいものだ。

 

3月2日

 新宿で喫茶店に入った。夕方で勤め帰りの人も多い。セルフサービスなので、珈琲を受け取って禁煙席に向かうと、なんと誰もいない。しかし奥の方の喫煙席はとても賑やかだ。そのあまりの差に愕然とした。それから30分ほどの間に喫煙席に座ったのは、私以外たったの1人だった。

 ここでもそうだったが、若い人、特に女性にスモーカーが多い。若い女性客が入って飲み物を受け取ると、必ず灰皿を持って喫煙席に向かう。これはどこの飲食店でも同じで、この頃は喫煙する女性が圧倒的に多いように見受けられる。最近喫煙者の割合が減っているというが、私にはとても信じられない。 どうしてこれで喫煙者の割合が減っているのかと思わせられてしまう。

 別に女性であろうが男性であろうが、他人に迷惑を及ぼさない範囲で、自分の責任の範囲においてならば喫煙も結構だ。ただ女性の場合、妊娠中の喫煙は良くないとされる。それに、たびたび触れているように、私は大の煙草嫌いだ。 あの臭い煙が死ぬほど嫌いだ。とにかく、あの臭い煙が一切外に漏れない状態でなら、目の前で喫煙して頂いても構わない。問題は、排出煙でも副流煙でも、煙草はどんなにしても煙が漂って来てしまうということ。嫌いな人間にはそれがどれほど嫌なことか、辛いことか、喫煙者の方はよく心してほしい。

 先日も特急列車の車内で二人組の男性が「最近は煙草を吸うにも肩身が狭い」とぼやいていたが、そういうご自分は禁煙車に乗っていた。他人の煙はまっぴらというわけだろう。なんともご都合のよい話だが、本当に肩身の狭い思いを強要させられているのは嫌煙者なのだ。

 吸うも吸わないも個人の自由、他人に迷惑を及ぼさない範囲でなら。しかし、やはりこれほどまでに若い女性の喫煙者が多いということは、もはや社会問題ではないだろうか。

 

2月19日

 書店、喫茶店、映画館・・・最近閉店するところが多い。何週間かぶりに買い物に行くと、「長い間の御愛顧有り難うございました」などと貼り紙があったりしてびっくりする。この頃しばしば経験することだ。ああこの町もまた変って行ってしまうのだな、と、ふと淋しい気持ちになる。

 「S」や「T」など最近はやりの喫茶店や「C」「D」などのチェーン店より、昔ながらの重厚なテーブルを長く使い続けているような店の方が、本当に落ち着いて珈琲を味わうことができるのだが・・・それを思うと昔は良い喫茶店が沢山あった。今の喫茶店だと狭いし落ち着かないし、自分がまるで養鶏場のニワトリのような気がしてくる。店としても珈琲一杯でお客にいつまでも粘られては困るだろうから、その点は分かるのだが、どうしても効率優先の匂いが鼻についてしまう。特に私は煙草が大嫌いだから、至近距離からあの臭い煙が漂ってくると心底気分が悪くなってしまう。

 書店にしても、郊外型のチェーン店では常に売れ筋しか置いてないから、大してみるものがない。書店の減少には不景気や活字離れということもあるのだろうが、インターネットの普及も大きいのだろう。ちょっと調べたいことはネットで済むし、ネットを通 じて書籍を買うことも多くなった。雑誌などはコンビニエンスストアで買う場合が多いという。これからは「街の本屋さん」が消え、大手のチェーン店かよほど専門的、特殊な書店のみが残って行くのかも知れない。中には万引きの被害が甚大で廃業に追い込まれる書店もあるとか。

 出版にしても、文芸はともかくとしても専門的な書籍では全般 に新刊の良書が少なくなり、どうでもいいような交ぜ返しの本ばかりが目につくような気がする。邦楽関係や園芸関係の本もそうだ。園芸書籍など二十年前当たりのものの方が今よりもはるかに水準が高いことが多い。

 とにかく、この頃世の中の変化が大きい。何かと便利になったことも多いけれど、その反面 自然環境の悪化、犯罪の増加や人情の希薄化、物資の規格化が進み、近未来小説が描くような無機的で無気味な世界に本当になってしまいそうな気がする。行く先に不安が渦を巻いているようだ。

 窓越しに午後の陽射しを浴びつつ、年季の入ったチェアに腰を据えて、珈琲の香りを楽しみながらしばし読書にふけることができるような、そんな落ち着いた喫茶店が懐かしい。

 

 

2月18日

 「花」がある人がいる。普段でもそういう人を見かけるが、特に役者や演奏家などで、舞台で格別 な存在感を発揮する人がいる。颯爽としてスケールが大きく、恰好が良く、衣装もピタリと決まり、他を圧して輝く。同じ人間として生まれながら、なぜこうも違うのだろう、先天的なものなのか、それとも成長の過程で身につけて来るものなのだろうかと、思うことがよくある。最近よくいう「カリスマ」というのも同じものだろうか。

 残念ながら私には特に花のようなものはない。だから舞台でも、お客さまに自分の姿がどんなふうに映るだろうなどということもあまり気にしない方で、通 常の自分がそのまま舞台につながり、自然に自分が表現できればいいと思う。そもそも正直いって人前で演奏するということがそれほど好きではない。

 そんな私が好きな演奏家は、面白いことにたいていやはり花のない人だ。植物にたとえたらシダのようなものか。しかしシダは深い味わいを持っていて、園芸の世界でも一度シダの魅力にはまると病み付きになってしまうという。たしかに私の好きな演奏家も、えも言われぬ 味わいを感じさせて頂く方ばかりだ。そういう方々は決して派手ではなく、たくまずしてじわじわと内側から滋味がにじみ出て来るような、そんな魅力がある。舞台を離れて日常に戻っても、そういう魅力は変らない。私もそんな人間になれたら、と思う。

 花とすれば、私は清楚で地味なものを好む。ケバケバと自己主張ばかり強いような花はどうも苦手で、楚々と咲く山野草や味わいのある古典的な園芸植物の花が好きだ。もちろんシダも好きな植物である。

 「花をのみ 待つらむ人に山里の 雪間の草の春を見せばや」

 私の好きな歌だが、私の場合これはそのまま人間にも当てはまるのかも知れない。

 まだまだ寒さに凍てつく松本の家の庭で、すでにスノードロップが可愛い花を開きはじめた。

 

2004年 1月3日

謹賀新年

 今年も穏やかな新年を迎えた。年末年始は松本で過すことが多いが、今回は東京宅のコンピュータが不調で大晦日の晩中リストア作業に追われ、結局2日に松本宅に移動することになってしまった。

 松本の家に戻ると、長野県の田中知事が「長野県」の名称を「信州県」に改称すべく、本年から調整を始めるとの話題が入って来た。私も大いに賛成だ。

 信州は南北に長い大県であり、高い山に隔てられ各地域の交流は盛んでなく、しかも県庁が置かれた長野市はごく北に偏している。もともと江戸時代までの「信濃国」も11の藩や、天領に分割統治されていた。そんなこともあり、理屈っぽい信州人の性格も加味されているとしても、県内でのまとまりに今一つ欠けるのは仕方がないことだろう。

 周囲を十州(現在の8県)に囲まれていて東西日本の境目であることもあって、文化や言葉も地域により大きく違う。特に北、東半分と南、西半分とではほとんど別 の生活圏であり、性格も雰囲気も異なる長野、松本の2市がそれぞれを代表している。だからたとえば宮城県のように中枢が仙台市にほぼ1極集中している県とはまったく事情が異なる。

 平安時代にはほぼ中央にある松本の地に信濃国府、また中世になると信濃守護が置かれていた。松本の別 名を「信府」「信陽」というのもそのためである。じっさい長野に比べ松本の方が信州の政庁の場所としてふさわしいのは地理的に見てもうなづける。

 さて明治維新の廃藩置県で、信州の南半分と今の岐阜県飛騨地域は松本に県庁を置く「筑摩県」、信州の北半分は「長野県」となった。ここまではよかったわけだが、明治9年に松本の筑摩県庁舎が火事で全焼、それを機に筑摩県の信州分は長野県に併合されてしまった。県庁は相変わらず長野町(のちに市制施行)に置かれたままであったので、以後百数十年間、遠く離れた松本、諏訪、飯田など信州中部、南部の人間にとってはずっと不便を強いられてきた。社会資本の整備も北を中心に行なわれた感があり、中南部の県民には不満が絶えず、松本への移庁や分県がことあるごとに論議され、高速交通 網が整備された現在でも、いまだに信州はそんな過去をずるずると引きずっている。

 多くの信州人は、「長野」と言えば長野市のことだと認識している。全県のことは「信州」、あるいは「長野県」と、「県」までつけて言う。国立大学も「信州大学」だ(ちなみに本部は長野市でなく松本市にある)。長野県歌も「信濃の国」という。

 じっさいに私も東京などで「長野は」といわれても、自分に対して言われているという実感がまったく湧かないし、いささか気分が良くない。このように感じる人は少なくないだろう。これは信州だけでなく、たとえば浜松の人に「静岡は」とか、郡山の人に「福島は」とか、酒田の人に「山形は」と言ったら、やはりあまりいい気持ちがしないのではないだろうか。みなそれぞれ自分の地域に誇りと愛情を持っているからだ。また、松本をはじめ多くの場所で積雪の少ない信州が、北陸のような雪国と誤解されてしまうのも、「長野」から来るイメージに影響されているからであろうことも想像できる。

 そもそも県名というのは、県庁所在都市と同じであるケースが少なくなく、米国の州と州都、中国の省と省都でほとんど同じ名称のところがないのに比べると、相当いい加減につけられていると思う。仮に日本が「東京国」とでも名乗ることを考えてみて頂きたい。関西のみならず、多くの日本人が快くは思わないだろう。

 スコットランドの友人は、「英語」のことをEnglishとは呼ばずScotishと言う。 スコットランドは独自の紙幣も発行しているし、イングランドに対する対抗意識も強い。うっかり「イングランドは」などと言おうものならばすぐ「スコットランド」と訂正される。このように土地への誇りと愛情を強く抱いている姿勢には深く尊敬の念を感ずると共に、言葉を選びその誇りを傷つけないようにしなければならないと思う。

 今の長野市の母胎は門前町である「善光寺町」であり、「長野」の地名はもともとその近在の村の名称であった。その名がこれだけ広い地域を総称するのに本当に相応しいだろうか。横浜も昔は小さな漁村であり、今では大都市に発展した後発港湾都市だが、県名は神奈川であって「横浜県」とは言わない。

 信州のもとである「信濃」は本来「科野」であり、傾斜の多い野という意味だ。全国的にも、上高地も安曇野も霧ヶ峰も軽井沢も菅平も白馬も木曽も「信州」というイメージでとらえられていると思う。信州そば、信州リンゴも定着している。私も「信州」という言葉が大好きだ。青い空、清らかな水、高く連なる山々、そんなイメージがこの言葉にじつにぴったり来る。いい加減「長野」の呪縛を払拭すべき時であると思う。

 

 

 

12月15日

 昔から地球儀が欲しいと思っている。地図を見るのは楽しいが地球儀だと更に楽しい。地球だけではなく、他の惑星のものもあればなお楽しいだろう。だがインターネットでいろいろと調べてみても、自分の欲しいと思うものがなかなか見つからない、と言うか、そういうものはないのだろう。

 私が欲しいと思っているのは、同縮尺の月球儀付きの地球儀、それもできれば月が地球を周回できるようになっているもの。両者の距離に関しては縮尺通 りとはいかなくても。そもそも地球は月とペアではじめて「地球」として成り立っていると私は思う。

 月球儀は持っているのだが、地球の地形と月の地形との大きさを客観的につかむのがなかなか難しい。たとえば月の表面 積はアフリカ大陸の面積にほぼ等しいという。しかし月球儀や月の地図を見ていると、どうしても地球のそれと同じ大きさの感覚で受け止めてしまう。でもそういう地球儀があれば、両者の直径の差の把握、嵐の大洋と本州とを比べてどちらが大きいかなどということが、視覚的に分かって楽しいと思う。また地球儀は地勢図がいい。私は人間の縄張りにはあまり興味がない。

 どこかにそんな地球儀がないものだろうかと思うのだが、近々東京宅を家移りすることになったので、この機会に取りあえず一つ普通 の地球儀を買うことにした。しばし宇宙から地球を眺めるような気分に浸ることを楽しみに。

 

 

10月19日

 庭のセキヤノアキチョウジ(関谷の秋丁字・シソ科)が今年も咲いてくれた。しずかな青紫の花が秋風に揺れて、なんとも言えない風情がある。大好きな秋の花の一つだ。

 抜けるような秋空の元、残雪もすっかり消え新雪を待つばかりの北アルプスの山々が美しく雄々しく連なっていた。

 そういえばここ十年近く、本格的な山登りをしていない。忙しいこともあるのだが、どの山に行っても荒れているのが悲しいからということもある。さすがに北アルプスなどでは、登山者の意識もそれなりでゴミなどそうめったに落ちてはいないけれど、硬い登山靴に踏み荒らされ、雨でえぐりとられた、まるで火星の表面 のようなところがずいぶんある。高山植生の上に平気で重いバックパックを置いたり、いい写 真をとりたいがためにお花畑に入り込んだり、雷鳥を追いかけたり、登山者に自然に対するつつましさがなくなって来ているように思う。人間は偉いから何をしてもいいんだ、というような尊大さをどうしても感じてしまう。山の自然は、ほんとうは人の心のように、いやそれ以上にデリケートだ。山に登るたびに、人の心を傷つけ踏みにじるのを見るに似た悲しみが、次第に強くなって来たのだった。そんな山を見るのが辛いというわけである。

 山は楽しむためにあるのではなく、楽しませていただくためにある。昔は山が征服欲のよい対象となった。しかしそれはまだ登山がレジャーになる以前で登山者がごく少なく、荒れていなかったからかろうじて許されたことだ。ロマン主義は異界の美を発見したが、結局それは人がいいように支配すべき自然だったわけだ。昔は自然よりも人間の文明力の方が弱かったこともある。しかし今の人類の力を持ってしたら、日本の山くらい数年で平らにならしてしまえることだろう。

 山に登るなら、山の生き物たちのお邪魔をしないよう、つつましく用心しながら登るべきだ。重装備はいいが自然を荒らしてはいけない。いっぽう車やロープウェイでハイヒールのまま頂上なんてのも、もってのほかだ。まだ昔の信仰登山の方が、ずっと謙虚なものであっただろう。

 

 

9月23日

 「暑さ寒さも・・・」の諺通り、東京では残暑もすっかりおさまって心地よい秋の気候となった。暑がりやの私にはじつに快適な気温だが、早々とジャンパーやマフラー、セーターなど初冬のスタイルを決め込む人もいて、私などには「いくら何でも」ととても信じられない思いなのだが、事務のS君などもしきりに寒がっているから、やはり寒く感じる人も少なからずいるのだろう。そういえば8月の異常に涼しい時など、鍋やきうどんを食べている人が結構いてびっくりした記憶がある。暑がりにはとてもできない芸当だ。いくら涼しいとは言え真夏に鍋やきうどんなど、私にとってみれば我慢比べの苦行に等しい。そもそも今くらいの気温になってこないと、暖かいうどんやラーメンが食べられない。それでもかなりの大汗をかくことを覚悟しなければならないけれど。

 さて、話変わって、耳朶などに金属片のようなものを貫通 させる「ピアス」という面白いものがある。今日も電車に乗っていたら顔面のあちらこちらにピアスをした若者が入って来て、あっけに取られて失礼も顧みずじろじろと見てしまった。とても面 白いと思ったからだ。地肌が見えないほどもっと沢山すればなおのこと面白いのに、などと考えていたら、今度は気分が悪くなって来てしまった。始めのうちは面 白いと思っていたのだが、やっぱり私にはピアスの良さとか価値とか美学などまったく理解できていないのだった。

 もともとピアスや刺青など身体への加工や装飾は、儀礼的、宗教的なものであったり、富や勇気の誇示であったと思うが、どうして今この現代にわざわざ自分の身体に穴を開けなければならないのか、私にはやっぱり理解できないのだ。ただ、ピアスにしろ刺青にしろ自分の身体に付け加えるのであって削るものではないから、何か自分に不足するものを補おうとする意識の現れなのかも知れないとも思う。あるいは自己顕示の手段か。

 そもそも、私はかなり真剣に、ピアスはどこか遠くの宇宙からやって来た高度な知的生命体が、地球人にこっそりと取り付けたものではないかと考えていたものだ。ピアスが通 信装置のようなものになっていて、それを通じて地球人の情報を仕入れたり、あるいはその行動を制御、コントロールするために。そうとでも思わなければ、痛い思いもそうだがそもそも自分の体に穴を開けるなんてことは私には絶対に考えられないことだから。身体のどこに何をつけても良いとは思う。しかし身体装飾としても指輪やネックレスとは根本的に違う。それがお洒落とは到底思えないのだ。

 ところが、ある人が自分で安全ピンか何かを使い耳朶に穴を開けたと聞いてビックリ仰天、何故そんな無茶なことをしたのかと聞いたら平然と「流行っているから」との答え。ごく平凡で気の小さな人柄だと思っていたのに、流行だからと言ってそこまでするのか?そのあまりの意外さ、そして安直さに私は唖然として何も言葉がなかった。もし縄文人などの風習であった「抜歯」が流行でもしそうなものなら、彼女は率先して歯を抜くだろう。いやはやなんとも、流行とは恐ろしいものだ。

 こうして私の「ピアス=宇宙人陰謀説」はもろくも崩れ去り、それ以来私は人間という生物に対する視点を大幅に変更することになった。

 茶髪にピアス、刺青。厚化粧につけまつげでいささか妖怪チックな女子高生や、全然男らしくないのに髭や短髪で「男らしさ」を装う男。何にしても今は不自然で「あざとい」ものが流行る。まあたとえいかにお手軽で安直であろうが、それらが変身や自己顕示の手段のひとつとして社会の中の安全弁的な役割を果 たしているものならば、それなりに評価すべきなのだろう。

 しかしやっぱり、今でもふと思ってしまう。ピアスというものは、あれは宇宙人が地球人をコントロールするために流行らせているのだと。

 

 

9月7日

 久しぶりに日曜を松本宅で過した。真夏の分をここで取りかえそうと言うばかりに、松本は毎日よく晴れている。真夏とも違い初秋とも違う、独特の気候だ。私はこういう、どちらともつかない、微妙に季節が移り変わる時期がとても好きで、旅行に出たりすることもある。

 近所の庭では百日紅(さるすべり)が盛んに咲いているが、コスモス、秋明菊や萩も咲き出している。昼間はまだ蝉が鳴き、夕方からはコオロギが鳴き出す。夏の雲と秋の雲が一つの空に同居している。空気の透明感、空の高さは秋だが、陽射しの強さはまだ夏だ。

 このあたりは閑静な住宅地で、JRの駅がすぐそばにあり、高速道のICも空港も近い場所なのに、とても静かだ。家の前の道は二軒先で行き止まりなので、自動車もめったに入って来ない。明るくて静かな休日は何よりの宝だ。

 松本の庭に植えてある植物の9割方は春に花を咲かせるものばかりで、この時期はあまり花がない。色のどぎつい一年草や熱帯植物は置かないことにしているからなおさらだ。

 それでもちらほらと咲いているものもある。せっかくなので写 真を撮る。スズムシバナなどは一日花で、うっかりするとすぐに花が落ちてしまうのでさっさと撮ってしまわなければならない。これらの他にも、キレンゲショウマの大きな株があって本来ならもう咲いていても良いのだが、蕾を見たらみな虫に食べられていた。ミカエリソウは今年は咲かなかった。

 少しずつ、秋がにじみ出ている。

9月7日撮影

 

9月4日

 世の中に不思議な出来事は多々ある。その不思議にも数学的、科学的に説明のつくものと、容易に説明のつかないものがある。私も何度か、「ちょっとした」不思議な出来事に遭遇したことはあるが、それらはほとんど、いってみれば確率の問題でそうなったのであって、説明のつく部類にはいる。説明のつかない、たとえば心霊現象などに遭ったことはないし遭いたくもないが、結構知人、友人でそんな体験をしている人は少なくなく、決してあり得ないことだとは思わない。

 私の体験した中でもっとも「不思議」な出来事は、今から10年近く前のことと記憶している。ある日、東京の家から松本への移動で電車に乗ったときのこと。たまたま、松本に着いてすぐ稽古があるのでその日は三味線を三つ折れケースに入れて持っていた。ふつう三味線は携帯が楽なように棹が三つに分解できるようになっており、かなり小さなケースに収納できる。それが三つ折れケースである。午後の早い時間帯で電車の中はガラガラ、扉を入ってすぐ脇の席に腰掛けた。鞄はひざに載せ、三味線のケースは座席の脇、つまり扉を入ってすぐ横のところに置いた。東京宅の最寄り駅には各駅停車の電車しか停まらない。途中駅で快速に乗り換えると多少ながら早く新宿に着くので、その駅で私は次の快速に乗り換えた。快速はもう一つ先の駅で、先ほど乗っていた各駅停車を追い抜いていくわけである。

 私には何かに熱中したり、何か深く考え事をしていると他のことをすべて忘れてしまうという、困った癖がある。この時も何か考え事をしていた。快速に乗り換えてから15分ほどして、ふと気がつくと持って来たはずの三味線がない。ハッと思って考えると、乗り換える際に各駅停車の車内に置き忘れて来てしまっていたのだった。命の次に大切な楽器を忘れるなんて何とも恥ずかしく面 目もない話だが、慌てて次に停まった駅で降り、駅の事務室に駆け込んで事情を話したら、さっそく手配をして車内を調べてくださった。乗ったのが何両目ということも覚えていたので詳しく場所の説明をしたのだが、しかし電車はすでに混雑する都心を抜けた後でもあり、誰かに持ち去られてしまったのか、ついに見つからなかったのである。ケースも普通 のレザー貼りではなく、ちょっとジュラルミンケースに見えるものなので、札束でも入っていると思われたのかも知れない。

 駅員さんに「もし見つかれば遺失物センターで保管されるので、明日以降行ってみてください」と言われ、がっくりして、取りあえず引き返そうと電車を待った。けっこう音の良い高い楽器であったし、何よりも自分の不注意で、あってはならないことをしてしまった自責の念ですっかりしょぼくれていた。もう二度と出て来ることもあるまいなどと考えつつ。ところが、やがて入って来た電車の扉が開いたとたん眼に飛び込んで来たのは、もとのままに置かれた三味線のケースだった。

 それは、ここにあるよ、とばかりに「デン」としていた。さりげないけれども強い存在感を伴っていた。一瞬唖然となって、自分の眼が信じられなかった。開いた口がふさがらないとは本当にこのことだ。何と、三味線の入ったケースは私が置き忘れたまま誰も手を付けず、その電車がそのまま終点から折り返して来て、先に乗った時とまったく同じ扉から再び私が乗ったのである。5分に一本ずつ走る、それも各輛4ケ所の扉を持つ10輛編成の電車である。また他社線との相互乗り入れもあるけっこう複雑なダイヤで、昼間とはいえいつも混雑する都心を抜け、折り返して更にもう一度都心を抜き返して来たわけで、どう考えても再会の確率はきわめて低い。車内を調べてもらったのにその時には見つからなかったのも不思議なことだ。

 こうして三味線は再び私の元に戻って来た。不思議とはいってもこの程度の体験で、ただの確率の問題、偶然の出来事なのだろう。宝くじなどに比べたら何でもないことだが、単にそう片付けてはいけないような感覚に強く捕われた。これは何かのメッセージなのかも知れない、その時は強くそう思えてならなかった。思わず「ごめんね」と三味線に詫びていた。

 いまだにボケッとしていることの多い私だが、それ以来鍋を焦がすことはあっても、さすがに今に至るまで楽器を置き忘れたことはない。