vol.2  2002年4月〜8月
 

8月30日

 私は頻繁に電車に乗るので、車中や駅でいろいろな経験をする。

 先日も、となりに座られた熟年の男性から猛烈に濃厚な整髪料の匂いが漂って来た。私はこの手の匂いが大の苦手だ。胸がムカムカしてくる。こりゃたまらんと思っていると、逆側に腰を据えた女性のイヤホンから激しいシャカシャカ音が・・・これがまたじつに耳障りでうるさい。この日はそれだけではすまなかった。更に追い討ちをかけるように、前に立った女性はミニスカート。鼻と耳に続いて眼のやり場さえ断たれてしまった。三方から責められて動くにも動けない。ふだんならシャカシャカ位 はひとこと言ってボリュームを下げてもらうのだが、さすがにこんな状態では何も言えなくなってしまう。気分も悪くなり、封じ込められた妖怪か何かのように、しばらくはひたすら忍の一字で、悪夢のような辛い時間を過す。

 こういうちょっとした気配りの欠如が周囲の人に迷惑を及ぼすようなことは、本人もなかなか気付かない。同じようなことを私自身もしばしばしているに違いないと思うと、何だかこちらの方が恥ずかしくなってしまった。

 

8月20日

 リニューアルオープンから一年が過ぎた。「キリ番」などには特別 興味もなく、アクセス数はただ静かに見守っているだけであるが、多くの方に当サイトを訪れて頂いた。私としてもよくこまめに手を入れている方だと思う。

 この頃いくつかのサイトからリンクの申し込みを頂き、とても有り難くお願いしている。そしてたいがい、私のサイトを褒めてくださる。根が単純な私としては大変に嬉しく、木に登った豚の心地だ。

 ところがところが、私の門下生からはまったくといっていいほど褒められたことがないのである。むしろたいていは字が見づらいとか、画像が重いとか、文章ばかり、など良いことを言われたためしがない。中には滅多に覗いてくれない門下生すらいる。これは論外としても私はまあ、たんに実用的なものではなく自分の美的センスに合ったものを作ろうと思っているわけで、見た目優先になっているのは否めないところだし、もっと工夫すれば軽くできるファイルがいくつかあるのも確かで、それらの作り直しが後回しになっているものもある。

 それにしてもこの極端な違いは何なのだろうかと悩む。褒めてくださる方々も多くは美的分野に関わっておられるわけで、あながちお褒めの言葉も社交辞令ばかりではあるまいとは思うのだが。要は、私の美的センスを理解してくれる門下生が少ないというよりは、現実として私自身ばかりがその気になっているだけで、実際にはセンスと言えるほどのセンスを持ち合わせていないということなのだろう、と解釈している。

 つまり、それだけおべっかやおもねりを遣う門下生がいないと言うこと、かなり本音に近く私に接してくれているのだと思う。これはとても喜ぶべきことなのだろう。私自身、音楽ばかりでなくあらゆることについてまだまだ未熟な人間だ。多くの人の意見に耳を傾ける謙虚さをいつも持ち続けたいと思う。

 ただし、現時点でサイトの仕様を変更する気はありませんのであしからず。

 

 

8月19日

 午後、東京より松本の家へ。途中「スーパーあずさ」の車内でうつらうつらしていたら、顔面 に突然衝撃を受けて飛び上がりそうになった。特に何かが当ったわけでもなく、ただ車窓を通 してギラギラとした陽光が照りつけている。雲が切れて太陽が急に顔を出したのだった。それがとても熱く、眩しかったので決して大袈裟でなくほんとうにびっくりしたわけだ。考えてみればこの一週間、ずっとぐずついた天気が続いていた。ほんとうに久しぶりに拝むお天道様だ。重くたれ込めた雲が、もう二度と日光も青空も仰ぐことができないのではないか、と思ってしまうほどの陰鬱な毎日だっただけに、その眩しさはじつに強烈だった。まだまだ夏の陽射しそのものだ。上を見ると雲の絶え間に青空ものぞいている。

 松本駅で列車から降りると、珍しいことに東京よりも暑かった。それでもいつもよりは涼しいはずだが、ここ数日間の東京があまりにも涼しかったからだろう。例年松本の夏も暑いが、中央高地独特の湿度の低さで、同じ温度でも東京よりはずっと過しやすい。肌のべと付き具合がまったく違うし、日陰に入ると風に涼しさが感じられて良く分かる。まして「熱しやすくさめやすい」気候だから、夕方から朝方にかけてはぐんと温度が下がって、熱帯夜などまずない。空気もやっぱりおいしい。久しぶりに上質の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。

 そういう東京も、今年は過しやすい夜が続いた。事務のS君などは「寒い寒い」といって長袖のシャツを着たりしているが、さすがに私などには「涼しい」というていどでちょうどいいくらいだ。雨もじつによく降った。いつもは松本の家の方に傘がたまる。つまり東京の方が良く降るので移動の際に傘を持って来ることが多いのに対し、松本はあまり降らないから傘を持って行かないからで、これは気候のデータを見れば良く分かる。松本は年間降水量 が千ミリ前後で、全国でもかなり少ない方、ついでに日照時間は全国有数、よく晴れる土地だ。それが今年は傘の数がどちらもあまり変わらない。つまり、こちらでもしばしば雨が降るということ。やはり異常気象なのだろう。

 北アルプスの常念岳に棚引く雲が美しく茜色に輝いていた。これから少しは夏らしくなるのかも知れない。夜、レッスンを済ませて家路をたどると、数万年ぶりに超大接近している火星が皎々と、というよりは爛々と、またたきもせず大粒のルビーみたいに妖しく美しく輝いていた。この輝きの前ではさすがのアンタレスもすっかり褪めて見えてしまう。

 

8月15日

 先月、船橋市の尾崎さんという方のお宅にホームステイしていた、アイザック君というアメリカの若者に、ボランティアで二回ほど三味線の指導をすることになった。大学入学前の休みを利用して来日した彼は、日本の文化に大変興味を持っていて、三味線、浮世絵、水墨画、お茶などが好きだという。アメリカではバンドでベースを弾いているとのこと。

 来日してすぐ、三味線を弾いてみたいということで、尾崎さんが近所の方から借りて来てあげたら、楽譜の読み方も自分で解読して、一週間独学で毎日練習していたという。私も中学生の頃、三味線の譜の読み方が知りたくて、家にあったギターを使い、テープの録音を聴きつつ解読したので、とても親近感を覚えた。

 稽古場に来るとアイザック君はちゃんと正座して、まず一週間の練習の成果 として、指遣いや撥の持ち方は変だが、何と「滝流し」を弾いて見せた。音程も正確でリズム感もとてもいい。楽譜の記号や楽器の持ち方などを教え、ある程度きちんとした弾き方に慣れてくると、ますますいい感じになって来た。もし一年も稽古を続けたら相当なものになるだろう。

 そんな彼から感じたことは、われわれ日本人は小さな時から「形」「型」から入り覚えることに慣れているが、たぶんアメリカ人はそうはしないということ。持ち前の知識、経験と工夫でどんどん進んで行く。「形」は約束事だから、それを解く鍵を持たない人にはふつう通 じない。アメリカのような多民族で歴史の浅い国では、そうして何ごとも誰が見聞きしても分かるようダイレクトに進み、表現しなければ、普遍的に大勢の人に理解してもらうのは難しいだろう。ハリウッド映画のように。

 形にとらわれないこと、アメリカでは社会そのものがそうなっている。ある意味それはとても素晴らしいことだ。因習に煩わされることもなく、存分に手足を伸ばして進んで行くことができる。本音と実力で勝負だからシビアで厳しい世界だが、夢も大きい。ただ、もし彼が本当に日本の文化を理解したかったら、多かれ少なかれやはり「型」の中に飛び込まなければならないだろう。

 例えば、外国人の力士なども入門すれば色々な型やしきたりを覚えなければならない。でもそこに様式的な美しさや相撲の良さ、精神性があるわけで、それが抜けたらただの格闘技だ。音楽でもそれはまったく同じだ。型と文化との不可分な関係に気付いて、はじめて本当に日本の文化を理解することになるのだと思う。

 ヨーロッパにも熱烈な日本文化ファンがいて、あちらで演奏会をすると遠くからでもはるばる聴きに来てくれる。家に茶室を作り、盆栽を育て、尺八を吹く。中にはそんな人もいる。就労の目的ではなく文化に憧れて日本に定住する人もいる。また最近は欧米人だけでなく、アジア人でも日本の伝統文化に親しむ人が出て来た。つくづく、日本が世界に誇れるものは自動車や機器やアニメーションばかりではないと感じる。でもそういったことに気付かない日本人がとても多い。せっかく日本の文化に惚れ込んで親しんでくれている外国人を見て「いったい何を考えているのか」などという人もいるくらいだ。そもそも現代と伝統文化が断絶しているように国民に刷り込んでいるのはいったい誰なのだろう。

 帰国を前に、アイザック君は近所の方を招き、約一ヶ月の練習の成果 を披露したという。20人ほどの方が集まり、とても喜んで聴いて頂いたそうだ。その時の写 真を送って頂いたが、楽器の構えもだいぶ様になっていた。帰国前日「誰か僕のパスポートを燃やしてくれないかなあ、そうすれば、もっと日本にいられるのに」と言っていたという。日本を好きになってもらって本当に嬉しいことだ。今日は終戦の日だが、今後、彼が日米両国を繋ぐ掛け橋として、平和な交流のために一役かってもらえたら何よりだ。

 

 

8月3日 

上野、国立科学博物館の特別展「江戸大博覧会」を観覧した。とても内容豊かで面 白いものだった。

 私の仕事である三曲音楽は江戸時代に発展し完成された音楽であるし、また趣味のひとつである園芸でも江戸時代の植物を沢山育てている。そんなわけで江戸時代には以前から強い興味を持ち、これまでも多くの書物を漁ってきた。だから今回の催しにはとりわけ強い興味を感じたわけである。

 近年、江戸時代は世界的に高く評価されて来つつあるようだ。しかし肝心な日本人の中に、明治維新を「夜明け」ととらえる考えがいまだに見受けられたり、悪いイメージで「封建的」という言葉を使う人もやはりいまだにいる。しかし実際「封建制」とは何なのか、知らないで使っている場合がほとんどだ。「封建制」が世界でほとんど日本と西欧にしかなかったというと驚く人が多い。あまりに私たちは江戸時代を知らない。ふつうはせいぜいテレビドラマでお馴染みの水戸黄門と大岡越前くらいだろう。それもあれはほとんど作り話だし、時代考証も正確ではない。

 ある人に江戸の本屋の話をしたら「えっ、江戸に本屋があったんですか」と驚かれたり、とにかく江戸時代というものをものすごく未開、未発達なものとしてとらえている人が多い。

 そもそも長い期間の平和、自然との共存、これらだけでも、現代の日本が手本とすべき点ではないだろうか。そして現代の市民生活の基礎が完成したのも江戸時代だ。握り鮨も大福餅も、蕎麦切(今でいう麺状の蕎麦)も稲荷鮨も、清酒も、みな江戸時代に生まれたものだ。

 園芸が発展して、様々な植物が育種され高い水準に達したり、三味線が洗練されて多くの音楽が生まれたり、赤絵の磁器が生み出されたり、精妙な表現のできる人形劇「人形浄瑠璃」が発展したり、いろいろな技術も革新された。鳩の身体を測定して翼を作り、空を飛んだ人もいるという。鎖国とはいえ貿易量 が少なかったわけではないし、また長崎を通じて入って来る西欧や中国の文物も盛んに取り入れた。いわゆる蘭学ばかりでなく、画家たちは西洋絵画の遠近法を取り入れたし、音楽家はオルゴールの多音性をヒントに替手式箏曲を生み出した。弦の多い箏も試作された。関孝和のような数学家もいれば、三浦梅園のような思想家もいた。

 江戸時代の人々の、このような闊達な活動をみれば、およそこの時代が沈滞、停滞、閉鎖的などという言葉に相応しからぬ 、 豊かなアイディアと活力を持っていたことがよくわかる。

 厳しい身分制であったとはいうが、文化文政の頃京都で活躍した音楽家松浦検校の作品に「四つの民」という曲がある。士農工商の四種の民を春夏秋冬にだぶらせて讃えた歌詞を持つが、つまりそこではこれらの身分を決して上下の階層としてではなく、並列し循環する職能ととらえているのが重要と思う。松浦検校は商人である住友家の出であるからなおさらなのかも知れないが、当時の身分に対する考え方がけっしてカースト的なものではなかったことが伺える。

 また19世紀初頭期の、日本と英国の国民の平均所得や平均寿命はほとんど同じであったという。英国経済の進展については、当時次第に進行しつつあった産業革命もあるが、同時に植民地からの収奪、搾取という負の面 をまた強く持っている点も看過できない。ところが日本ではほとんど自前でそれを成し遂げたのだから、とても立派なことではないだろうか。

 天明の飢饉は有名だが、当時は北半球全体が寒冷気候で、中国でも朝鮮でもヨーロッパでも飢饉は頻繁に起きていた。ことにアイルランドの「馬鈴薯飢饉」のすさまじさに比べたら、天明飢饉などずっと小規模であるという。

 この時代をけっしてユートピアとは思わないが、少なくともまだまだ一般 的には過小評価されている。江戸時代の成果があって、はじめて現代の日本がある。このことは認識すべきだし、もっと深く知るべきだと思う。そのいみでこの特別 展は多くの人に観てもらいたいものだ。

 

 

7月27日

 私は基本的に「流行」「ブーム」というものを好かない。日常、流行の影響を完全に受けないということはあり得ないし、その意義をまったく認めないというわけではない。また子供の頃はそれでも流行っていたアニメーション番組や怪獣番組にかなり夢中になったりしていたこともあるが、比較的早くそういったものも卒業してしまった。以来、何ごとも 極力自分の価値観で判断し、探す癖がついている。「流行っているから」「周りの人がしているから」というような理由で流行に同調するようなことは、まずほとんどない。またその道の権威や評論家の発言ももちろん参考にはするが、それを鵜呑みにはせず自分でも良く考えることにしている。その意味ではかなり偏屈でへそ曲がりなのかも知れない。

 流行しているものを、多くの人々から支持を得たという観点から最高のものと見なす人も多い。でもそれはあまりに短絡的な発想だ。たとえば最近流行したある和楽器などもそうで、その関連サイトでよくそういった表現を目にする。しかし現在すでにそのブームは下火になって来ている。しょせん流行というものは一時的なもので、歴史の流れから見ればほんの一瞬の出来事である。

 専門家ではないから良く分からないが、流行というものは一種の経済現象でもあるのだろう。流行にはたいてい、仕掛人がいる。仕掛人はマスコミ等を通 じて多くの人を集団催眠にかけ、価値観を植え付けてしまう。そして人々はいいように踊らされ、財布の紐をゆるめる。そのうちに人々は飽き、また次に仕掛けられた流行のために金を使う・・・実際そうやって流れに乗っていれば楽であろうし、結果 として大きな経済効果が生ずる。なるほどそう考えれば流行も経済のためにおおいに役立っている訳だ。だがあいにく、私はそれに同調する気はさらさらない。もちろん、本当に素晴らしく思え、また私の好みに合うものならば、大いにのめり込むこともやぶさかではないのだが、現実にそんな流行にお目にかかったことはない。

 また社会学的に見れば、流行というものに世相の反映を見ることもあるのだろう。巨視的にとらえれば古典主義やロマン主義といった時代思潮とそれに伴う様式も、やはり流行と言えるのだろうか。しかしそれらは確たる思想の裏づけによって成り立つものであるから、相当に異質なものであるようには思える。

 だいたい流行などというものは長続きするものではない。ふつう数カ月から長くて数年くらいのものだろう。「熱しやすくさめやすい」という言葉の通 りだ。いっとき猫も杓子もというほど流行っても、人々はすぐに飽きては次の流行に血道をあげるものだ。ブームが去った後は誰も見向きもしない。数年も経てば、そういえば以前そんなものが流行ったなあ・・・と思い出すていどの、一時的なものだ。使い捨ての文化現象とでもいえるだろうか。結局ブームの仕掛人ばかりが得をするのだ。

 そんなものに左右されたら、本来自分が歩んで行くべきペースを完全に狂わされてしまう。ブームの意義として「多くの人の目や耳にする機会が増える」というような、いかにももっともらしいお題目が喧伝されるけれど、だいたい私など何も知らぬ 状況にいたのに、ある時胡弓を知り、好きになった口だ。別にブームでなくてもそういった機会がまったくないわけではない。

 だから、胡弓も決してブームになどなってほしくないし、妙にマスコミに取り上げてほしくもない。正しい胡弓の認識さえされていれば、基本的に「知る人ぞ知る」でいいのだと思う。だいたい今の胡弓界はあまりにもぜい弱で、ブームが起きでもすれば滅茶苦茶にかき回されてしまうだろう。そしてブームという名の怪獣は冷酷無比に計算高くて移り気だ。しばらく経てば、嫌でも何ためらうこともなくさっさと胡弓を置き去りにして、次の獲物に移っていくに違いない。

 そんなブームをわざわざ起し、煽る必要はない。質実に行くべきだ。そもそも今はインターネットがある。知ろうと思えば誰にでも情報を引き出せる環境が整いつつある。

 私は本業の音楽以外に、幼い頃から今に至るまでずっと園芸を趣味としていて、素人ではあるが「園芸研究家」として、以前から園芸雑誌に依頼されてしばしば執筆をしたりしていた。しかし十年ほど前に「ガーデニング・ブーム」がおきた。要するに英国式の園芸をいきなり日本に持って来たのである。とはいえ、美意識や気候や土地事情のまったく違う日本に、それがそのまま根付くはずがない。結局はこれも一時のブームとして、すでに次第に沈静化しつつある。しかしこの出来事で日本の園芸界には大きな変化が訪れた。もちろん、例えば色々な植物の苗がそこらへんのホームセンターなどでも容易に入手できるようになったというようなメリットも生じはしたけれども、良心的な専門書がすっかり発行されなくなったり、質の高かった園芸雑誌が廃刊になったりと、やはりブームならではの質の低さを反映した体質になってしまったことも否めない。

 私はそんなガーデニング・ブームの到来を期に、いったん園芸の世界から身を引いた。流行に左右されるのが心底嫌だったからだ。いま、そのブームの嵐もようやく過ぎつつあり、最近の園芸界も多少は落ち着きを取り戻して来た感がある。そんな訳で、この頃ふたたび多少は執筆などもするようになっている。

 先日電車内で、ある雑誌の中吊り広告を見ていて驚いた。「ブーム・・・胡弓・二胡云々」とあるではないか。何か恐れていたものが来てしまった感じだ。私は胡弓をブームになどしたくない。ブームなどに左右されて生きるのはまっぴらだ。

 江戸時代、「三都三流」といって、京都は「風流」、大阪は「一流」、江戸は「流行」が好まれると言われたという。江戸っ子にしてみても、将軍様のお膝元という意識が強かったと言われるし、上方からの物資「下りもの」を高級品扱いし、また歌舞伎役者の衣装の色使いが即その時々のファッションとなった。威勢の良い江戸っ子ではあるけれど、そこには常に「権威」に対して弱い、受動的、他力本願的な態度も見受けられる。してみると現代の日本は江戸の気風をもっとも強く受け継いでいるように思えるのだが。

 

 

6月19日

 このところ猛烈に忙しい。舞台も多いし新しい生徒の入門も続いていて、とても嬉しく有り難いこと。加えて雑誌の原稿書きに雑用が重なってしまい、更に事務のS君は私がエアコン(除湿)を効かせ過ぎて風邪をひかせて寝込んでしまい、もう大変な騒ぎ。

 そんな最中に、私が留守中の松本の家の猫に子供が生まれた。同居している猫はほとんどみな、申し訳ないのだが避妊手術をしてもらってある。その中にただ一頭だけ、まだ済ませていない雌猫がいた。以前にもここに登場した「えび」の娘「きなこ」だ。うっかり妊娠に気づかず、忙しさにかまけているうちに出産。ところが何と、その「きなこ」が出産4日めに急死してしまった。小柄だがとても元気な猫だった。まだ3歳と若いし、なぜ急に死んでしまったのだろう。彼女としても生まれたばかりの乳飲み子を遺して、さぞ無念だったろう。私や母は可哀想に思うが、このあたり人間と違うのは、こんな時でも他の親族の猫たちが無関心でいることだ。

 さて問題は、遺された4頭の子供達である。この世に生まれて来た以上、何とか育ててやりたいのだが、まだとても小さい。以前「えび」たちを育てる際にも、私がミルクを与えて育てたので経験はあるのだが、もう少し大きくなってからだった。今回も子猫用のミルクを買って来て与えているけれど、ちゃんと育ってくれるかどうか、まったく自信がない。何とか大きくなってもらいたいものだが。

 次に、もうこの家に新しい猫が加わる余地がないという問題が控えている。あるていど育ったら里親を探してやらねばならない。以前、捨て猫を育てて6頭出産したことがあった。必死の思いで里親を探し、すべて貰われていった。大切に育ててくださり、良い猫に育ったと連絡をくださった方もいた。

 もしもこれをご覧の方で、生活の伴侶としての猫が欲しい方、ちゃんと責任を持って面 倒を見てくださる方、猫は純血種でなきゃ駄目という考えをお持ちでない方、おられましたら、そして子猫たちが無事に大きくなりましたら、ぜひ里親になってあげてください。よろしくお願いします。ご連絡はkz-hara@qd5.so-net.ne.jpまで。

 

6月9日

 スーパーマーケットで買い物をして、いざレジに並ぼうとする。会計を早く済ませたいのは私も同じ。あまりじろじろと他人のカゴを覗くのも気が引けるので、ちらりと並んでいるお客の品物の量 をチェックして、こっちの方が早いかな、などと思ってそのレジに並んでみると、じつは前の人が山のように品物を持って待っていたりする。自分の番が来る前に、隣のレジの方が結局ずっと早くて、後から来た人がすいすいと、先に会計を済ませて行ってしまう。こんなことがしょっちゅうある。時間に余裕がある時なら別 にそれでもいいが、忙しい時などはちょっと損な気分になったりする。 

 あるいは、隣の方が少し早そうだから移動しようか、などと迷っている内に、他の人に並ばれてしまう。そしてやはり先にレジを通 ってしまう。まったく間が悪い。

 また、私がどのレジが・・・とわずかに迷う内に、ダッシュで先を超されてしまう。主婦の方はこういう時、素晴らしい能力を発揮する。その素早さは本当に感動ものだ。どのレジが早いかほとんど直感で分かってしまうのだろうか。それともチェックがとても素早くできるのだろうか。

 もちろん時間にしても数分の些細なことだからどうでもいいことだが、どうも私は、こういう才能がまったくないようである。きっと普段からボケッとしているのだろう。

 そういえば、駅のホームできちんと並んで電車を待っていても、こちらがボケッとしていると、扉が開くと列を無視して、横からさっと先に乗り込んでしまうのはほとんどが女性だ。

 女性の能力は素晴らしい。

 

6月4日

 言葉というものは常に時代と共に移り変わって行くものだが、若い人の会話を聴いて不快に思うことが多くなると、自分の若くないことを自覚させられる。かくいう私なども「やばい」などという言葉をけっこう平気で使ってしまうのだが。

 先日、バスに乗った時、後ろの座席に乗った高校生の男女の会話が聴くともなしに耳に入って来た。女の子の方が積極的に話をしている。その相づちを打つ男の子が頻繁に「まじ」「まじで」という言葉を使うのがとても気になった。20分ほどの間に、おそらく100回ほど「まじ」を繰り返す。会話の三分の一以上が「まじ」だ。

 「まじ」というのは、「真面目な話」の略で、「本当」「真剣」などという意味合いに使うのだろう。まあ、あまりボキャブラリーが豊かでないところに加えて、女の子と同席して緊張して、一生懸命に流行りの言葉で恰好付けようとしているのかも知れない。

 まだ子供であるし、そう思えばこれなどはまあご愛嬌だ。私は普段それほど言葉に目くじらたてる方ではないと思うのだが、一つだけ、若者のある言葉に、とても嫌な思いをすることがある。

 それは「変な」という言葉だ。以前、ある若者に私の和服姿を「変な恰好」と言われたことがある。襟合わせなども一応はきちんと、恥ずかしくない程度の恰好をしていたつもりなのに、さすがにムっと来て「着物のどこが変なんだ?」と聞くと、「珍しいという意味で言ったんです」という答えが帰って来た。若い人は「変」という言葉をそういうニュアンスでも使うらしい。男の和服姿は一般 には見る機会が少ないから、「珍しい」=「変わっている」ととらえれば、ぎりぎりそう言えなくもないところが微妙だが、それを「変な」と言ったら変ではないだろうか。

 最近、またしても「変な」の変な使い方に出会った。胡弓を「変な」と言った若い人がいて、これにはもう当分口もききたくない気分になってしまった。本人は何気なく(これを若者言葉で「ナニゲに」というらしい)軽い気持ちで発言したのだろう。しかし私は「変」という語を、普通 あまり肯定的な意味合いを持たないものと 認識しているので、非常に不快な気分を味わってしまうのである。若いとはいえもう一人前の社会人である。そういうもの言いが相手にどんな気持ちを抱かせるか、推量 できないはずはないと思うのだが・・・

 みなさんはどう思われるだろうか。

 

 

5月30日

 東京から日帰りで松本での演奏。松本にいる時ならば楽なのだが、スケジュールの調整がうまく行かず、今週はずっと東京での仕事。その合間をぬ ってなので実に慌ただしい。逆のケースも含めて、こういったとんぼ帰りというのは年に何回かある。今日は事故で悪名高い中央線が何ごともなく動いてくれていて、天佑に感謝。いつも見飽きることのない中央線沿線の、美しい初夏の景色も、今日はウトウトとしてほとんど断片しか記憶にない。家で急いで紋付に着替え、タクシーで会場へ。何とか時間に間に合った。

 市が「S記念フェスティバル」用も兼ね、大奮発して全面 改築中の、巨大な市民会館のすぐ隣にその会場はある。「H線流し」や「M色の時」(かなり古いが)などのTVドラマのロケによく使われたという神社の境内にあるイベントホールだ。今日は市の芸術文化協会の総会があり、その席での演奏である。昨年も演奏させて頂いたが、普通 のコンサートとは違い、文化各界の重鎮や、県、市の議員諸氏や市長といったお歴々が列席中での演奏で、また違った意味で緊張する。

 芸術文化に功労あった方々の顕彰式も兼ねていて、お祝いの意味も込めて胡弓本曲「鶴の巣籠」を演奏。胡弓を初めて聴く方も多く、演奏が終わると多くの方から質問攻めにあった。また色々なご感想を頂戴したが、ある画家の方から、「胡弓の音色が実に多彩 、繊細で、フランス語の微妙な発音のよう」とのお言葉を頂いた。これには何年か前、ヴィオラ・ダ・ガンバの演奏家J.サヴァール師の公開レッスンを聴講したとき、同氏が「弓使いには言葉の子音の発音や強弱アクセント(残念ながら日本語に強弱アクセントはないが)を考えそれを反映させるように」と言っておられたのを思い出した。実際彼の弓使いは本当にいきいきしていて、間(ま)に「タメ」があり、音楽にメリハリがつき、実にみずみずしい演奏をする人だ。言葉の美しいラテン語属言語国の人であるだけに、言葉からインスピレーションを受けやすいのかも知れない。そう言えばチェロの巨匠、故パブロ・カザルスもそうだった。

 もっとも、私の場合M.マレ、S.コロンブ、F.クープランなどの、フランスバロックのヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)音楽が大好きでよく聴いているので、ひょっとしてそのせいもあるのかも知れないが、確かに胡弓を弾いている時は、思わず息遣いが運弓と一致するなど、三絃や箏とは違う感覚があるのは事実だ。

 ほかにも思い当たるものがある。北インドのサーランギの名演奏家、ラーム・ナーラーヤンは高位 のバラモンであり、それならやはり演奏にサンスクリット語の響きを感じることができるのではないか。私はサンスクリット語そのものはわずかしか聴いたことがないが、そう考えてみると、やはり彼の作り出す音との間に共通 点があるようには思える。

 確かに擦弦楽器の音はある意味「言葉」なのだと思う。もちろんガンバはチェロと違って、開放弦の余韻を楽しむ撥弦楽器的要素を合わせ持つ楽器でもある訳だが、じつはその点も胡弓と共通 している。多分にサヴァール師の言葉は参考になるだろう。

 

 日本語もまた美しい言葉なのではないかと思う。最近のポピュラー歌謡の日本語発音は多くが悲しくなるほど滅茶苦茶でひどいものだが、本来は美しい響きをもった言葉だ。中国人にも日本語の美しさをほめる人がいる。故平井澄子先生は、その歌で日本語の美しさというものを実感させてくださった。それをまた胡弓の音にも活かさねばならないと思う。

 演奏にご好評を頂き、ご静聴を謝しつつ家に戻って着替えるが、すでに最終の上り「あずさ」には間に合わず、長野新幹線廻りで東京に戻る。忙しい一日だった。明後日は品川区三曲協会の演奏会だ。

 

5月25日

 松本市内のホールでの演奏会出演のため、車で会場に向かう。市街地と郊外の境目あたりの主要道を通 ると、沿道には驚くほど多くの店が並んでいてびっくり。久しぶりに通った道なのだが、昔の面 影があまりないほどだ。家電、パソコン、眼鏡、紳士服、ファミリーレストラン、回転寿司、カメラ、ホームセンター、自動車、本、ビデオ、おもちゃ、園芸・・・最近はどの地方都市でも郊外に大きな店が沢山でき、中心街は寂れつつあるという。松本はまだいい方なのかも知れないが、それでもやはり最近郊外店は大変に多い。また、日曜ということもあるのかどの店にもけっこうお客が入っているようだ。地方都市は基本的にすべて生活を自動車に依存しているから、鉄道の駅前より広い駐車場が確保できる郊外の方が便利なのだろう。

 ただ、原色だらけのケバケバしい看板やのぼり、外装がじつに美観を損ねている。派手な色で客の目を惹こうというのはいいにしても、そこまでケバケバさせなくても・・・と思うのは私だけだろうか。またそんな店が次々と並んで、これでもかこれでもかと満艦飾をくりだして、調和を乱している。私ならかえって購買意欲が減退してしまう。広々とした店内の感じは私も嫌いではないが、品揃えについても、たとえば郊外書店だと専門書などはあまりなく、やはり中心市街地の大きな書店や専門書店でないと満足できない。

 松本の中心市街地は、配色などにも十分配慮が行き届き、松本城天守をはじめ、桃山時代から江戸、明治、大正、昭和から現代まで、古い建物と新しい建物が重層的に良く調和した、かなり美しい町並みづくりがされていると思うのだが、郊外の主要道路沿いの景観はまことにひどいものだ。これでも同じ市なのだろうか。もっともこれは京都などでも感じることだが。そもそも中心部の商店街は歩き回ってショッピングをするものだけに、店先のディスプレイや看板などにもそれぞれ細かな神経が行き届いていて、センスを感じさせるものが多くて、それだけでも結構眼を楽しませてくれるものだが、郊外店の場合は高速で走る車窓からの視線しか期待できないから、色だけはどぎつく、ひたすら目立つようにしか考えられていないのだろう。元来人間の眼は「形」よりも「色」をまず知覚するから。しかもほとんどがいわゆるチェーン店ばかりから、たぶん日本中、都市の郊外はこんなものなのだろう。実際あちらこちらに行ってみると似たような光景をよく目にする。このご時世、まずはとにかく稼がねば美観もへったくれもないという感じなのだろうか。しかしヨーロッパのように、郊外の景観にももっと配慮をしてほしいものだ。

 

5月20日

 新宿から特急「あずさ」で松本に向かう。甲府盆地を駆け抜け、広大な八ヶ岳の裾野に上り、雄大なフォッサ・マグナに沿って中央線は延びている。このあたり、雨に洗われた新緑の中を走るのはじつに気分が良い。標高千メートル近く、暖地の重苦しい緑とは違い、夏緑林の緑は格別 美しい。八ヶ岳や南アルプスはまだ雪を戴いていて、毎年見飽きぬ眺めだ。

 が、進行方向を見ていたら、前方、隣の上り線路に何か転がっているのに気がついた。通 り過ぎがてら目をこらすと、何と立派な角の牡鹿が倒れている。そうこうする内に列車がとまり、「小動物と接触したので点検のためしばらく停車」とのこと。鹿をはねてしまったのだ。人ならばこれまで何回か経験しているが獣ははじめて。人の場合はほとんど自分の意志でそういうことをするのだが、動物は偶発的な事態なだけに、何とも可哀想だ。

 生きることは本質的に苦。仏陀の説かれたことは今でも真実だと思う。木々の緑にしても日光の取り合いだ。それに負けたら枯れてしまう。そして木々の葉の上で、根元で、土の中でも日々弱肉強食の食物連鎖が繰り返されている。生物たちはすべて生存のため、与えられた命を全うするために、ひたすら、ひたすら生きている。そんな無為ないのちの営み、姿を美しいと思う。私は演劇や映画も好きだが、それよりもそういう無為な命の営みのほうにはるかに惹かれるのだ。人間、それも現代の人間には、やはり厳しい社会とはいえどこかぬ るま湯に浸かったようなところがあって、そういった嘘臭さが私の前で真実味や説得力を薄めてしまう。かくいう私自身も典型的なぬ るま湯の例だが。もっとも人間は社会の中で常に嘘臭く生きて行くしかないのだろう。

 生きて行くことの厳しさ、それを無為に体現している自然に美しさがある。花でさえ、生きて行くために美しいのだ。蝶も蛾も蛇も鹿も。しかし何にしても厳しく過酷な地球の生物界であることだろう。だからこそ進化があり、その極みに人間があるのだという人がいるが、そこには人間を最高の存在として位 置付けるおごりが強く感じられる。

 あの鹿も八ヶ岳の中腹に生を受け、本来なら長くも短くも自然界の中でそれなりにその生を全うしたことだろう。それはそれで自然なことだ。しかし人間界との接触で思わぬ 事故に遭ってしまった。それを私は強く痛ましく思う。それをすら必然のこととは思いたくない。JRや道路公団が、野生動物を被害に巻き込まない努力をもっとするべき余地があることを感ずるからだ。

 北海道ではエゾシカが増殖し過ぎて問題になっていると言う。そもそも明治時代に人間がエゾオオカミを滅ぼしてしまったのが最大の原因らしい。結局、増え過ぎた鹿を人間が処分して調整を図るという、何ともおぞましいことになってしまう。いちど歪めてしまった自然は、どこまでも不自然に進んで行く。しかしオオカミが今でもいたら、今度は人間にも毎年犠牲者が出るだろう。人間と自然との共存といっても、口で言うほど生易しいものではない。

 私は今この命を粗末にしたくはないが、もし仮に輪廻転生があるのだとしても、今の命を全うした後で、再びこの世に命あるものとして生まれ替って、苦をまた繰り返したいとは思わない。ニヒリストではないけれど、どんな「生」も苦から逃れることはできないとは思う。気の毒な鹿にも、安らかなところへ行ったらもうこの世に生まれ変わって来ないよう、冥福を祈った。

 

5月8日

 胡弓の門人の一人、Jさんはユダヤ人で都内の大学で教鞭をとる学者でもある。Jさんはある時、大学に胡弓を持って行き、講議の際に学生達に「この楽器は何だか知っていますか」と問いかけたが、一人も答えられるものがいなかったという。Jさんは、日本人は西洋文化にかぶれ、自らの文化をおろそかにし、知ろうとしないと指摘する。私も本当にそのとおりだと思う。これだけ豊かに伝統文化が今に伝えられている国も少ないというのに、

 二十歳のある大学生に、外国にも茶の湯や尺八や俳句や盆栽の愛好家がたくさんいると話したら、「いったい何を考えているんでしょうねえ」と首をかしげた。盆栽の展示会にはアメリカやフランスの若者たちがたくさん来るというと、信じられないようだった。日本の文化は外国に通 用しないと思い込んでいるようだ。そしてアメリカの文化は恰好いいが日本の文化はよく分からない、古臭い、ダサい、とでも思っているのだろう。

 しかし国際人イコール米国の図式に従うことでもないと思う。西欧文明は多くの動物を愚かな方法で絶滅に追いやり、いくつもの異文明を私欲の為に崩壊させ、核兵器というおぞましい存在まで作り上げてしまった。いま某国の核兵器の存在が我が国の安全を脅かしているが、こんなものを作ったのは西洋文明だ。これらはまったく西欧文明の恥ずべき負の暗黒面 だ。あるいは異教の国に無理矢理自分の価値観を押し付け戦争を起こす。そういったことは棚に揚げて、これほど単純、 無邪気に米国文化、西洋文化に血道をあげる若者は日本以外にいないだろう。いや若者だけではない。たとえば英国風園芸のムードにひたりきってご満悦のご婦人方も同様だ。

 古代大和言葉と変わらない文法で物事を考えつつ、いっぽうでアメリカナイズされ、伝統的な文化とどんどん乖離しつつある今の若者たち。源氏物語は古文の授業で文法ばかりだったから嫌い、歌舞伎や能を観た事もなく、三味線や箏に触れた事もない。親たちが敗戦後の「ダメニッポン」的社会背景の中で育って来た世代だからということもあるのだろうか。

 「今どき着物に長火鉢なんて生活をしていない」という中堅の邦楽演奏家がおられた。どんどん新しい事をやろうという意味だが、それはそれでいい。しかし逆に「着物に長火鉢」もいいではないか。「フジヤマ、ゲイシャ」のどこが悪い。芸者も立派な職業、文化だ。また江戸時代は決して「夜明け前」ではなく、それなりに立派な時代だった。いいかげん、伝統的な文化をろくに知りもせずに劣ったもの、未発達といった偏見で決めつけるのはやめにしたいものだ。

 江戸時代、鳩の身体を調べ、ハンググライダーのようなものを作り実際に飛んだ人がいるという。しかしそういう事実を我々はほとんど知ることがない。われわれは教育やテレビドラマなどで、大きく歪められた江戸時代の虚像を刷り込まれている可能性が高い。ほんとうの江戸時代の姿、人々の考えといったものをほとんど私たちは知らないまま、村八分だの夜明け前だの、マイナスなイメージばかりで捕らえることになれさせられ過ぎている。

 古今集や歌舞伎や盆栽なんて今の生活と関係ないというかも知れない。しかしすべては繋がっている。たとえば今世界に名高い日本のアニメも、やはり伝統文化とのなんらかの関連があって日本らしい特色を帯び、こんにちの隆盛に至っていると考えられる。

 何にしても伝統文化を、余分な先入観なくすんなりと受け取ってもらうのが一番で、そのような機会がもっと増えることを望む。津軽三味線が最近流行だというが、すでにブームの頂点を過ぎた。そういう一時的ブームに頼ったり、些末な分野に分れてではなく、もっと地道で恒久的、総合的、体系的な、伝統文化を愛する心を養い育てる教育の場をぜひぜひ充実させてもらいたいものだ。

 

 

5月1日

 今日から首都圏大手私鉄の駅構内が全面 禁煙となった。煙草が大嫌いな私にはたいへん喜ばしいこと。煙毒に芯まで侵されきった日本社会全般 から見れば、それこそごくわずかな前進だが、この爽やかな季節の空気を穢す毒煙に接する機会が少しでも減少するのはありがたいことだ。ただJRなどでは禁煙措置をとらないということだし、私がもっとも迷惑を被る機会の多い飲食店などはまったくの野放しで相も変わらず燻製工場同然。喫煙大国日本の未来は立ちこめる毒煙と悪臭の彼方に暗くかすんでいる。今回の措置について、テレビニュースで通 行者へのインタビューをいくつか流していたが、嫌煙者の発言はいずれも喫煙者に対する配慮からだろう、じつに歯切れが悪く消極的で、今回の措置を遠回しに歓迎するといったニュアンスで、むしろ不快感すら覚えた。なぜこうも理不尽なほど、喫煙者に余分な気を遣わねばならない社会になってしまったのだろう。

 逆ではないか。喫煙者こそ、もっと嫌煙者に対して充分な配慮を払ってほしいものだ。嫌煙者の忍耐と寛容の上にあぐらをかいてまで喫煙すべきものではないだろう。喫煙家に好きな物を喫するなとは言わないが、しかしあくまでもそれは自分の責任の範囲においてしてほしい。吸い殻、灰、火の始末は当然のこと、副流煙や排出煙についても完全に自己の管理のもとに処理してこそ、はじめて人前で喫煙する権利が生ずるのではないだろうか。

 煙草は嫌いな人間にとって不快、苦痛以外の何ものでもない。とにかく、煙草は「吸って」もいいが「吐かない」でほしい。煙を一切よこさないでほしい。喫煙家の皆さん、よろしくお願いします。

 

 

4月30日

 私のパソコン歴は四年で、まだまだ馴れないことも多く、使用しない機能も少なくないのだが、ついつい高機能なものが欲しくて4台にもなってしまった。家が二つある状態だから、それぞれに置くデスクトップと持ち歩き用のノートが必要ということもある(ノート一台でも十分と言えばじゅうぶんだが)。私のパソコンは全部Macだ。IMac、IBook、PowerBookG4にPowerMacG4と、アップルの主要な現行機種がいつの間にかひと通 り揃ってしまった。パソコンは次から次と新しい機種が出て、性能もどんどんアップしているし、OSやソフトウェアもバージョンアップを絶えまなく繰り返しているから、常に新しい状態に対応させておくのも忙しい。アタマも柔らかくしておかないと、とてもついてゆけない。大変なことだ。

 そしてソフトウェアの分厚いマニュアルや解説本、CDRやDVDで、パソコンまわりは一杯だ。加えてディスプレイ、プリンタ、スキャナ、オーディオインターフェイス、音楽キーボード、タブレット、スピーカ、デジタルカメラ、ディスクドライブ・・・周辺機器とその接続ケーブルでごちゃごちゃしてしまうのもお定まり。

 そんなものに囲まれて過す時間が増えた。今ではパソコンのない生活など考えらなれいほどになっている。五年前には想像もつかなかったことに我ながら驚く。まさかこれほど身近にパソコンを使いまわすなど夢にも思わなかったことだ。もっともいわゆる日本語ワードプロセッサには初期の頃から馴れていたので、四年前はじめてパソコンを買った時もキーボードの入力やファイルの概念はすぐ適応した。しかし個々のソフトウェアについてはその都度勉強しなければならない。これがなかなか大変だ。最近も3DCGソフトや音楽編集ソフトを新たに買ったのだが、これまで使っているものとは機能や操作法が相当違い、悪戦苦闘を強いられている。馴れるまでかなり時間がかかりそうだ。

 しかし、じっさいパソコンに向かっている時間は楽しい。ハード面 についてはそれこそまったく分からないけれど、様々なデータ、文章、音楽、画像、通 信など、すべてパソコンで統合管理できるというところが素晴らしいと思う。この点に関してはいまだに素朴で新鮮な感動を忘れることができない。もともとあらゆるものを統合する二進法のデジタルな思考は、長らく西洋文明が得意とし、発展させて来たのだが、一方でパーソナル・コンピュータはもともと日本人の発想から始まったという。たしかに、ラジカセのような小さな機械に複数の機能を合わせ持たせるというのは日本的な発想だ。小さな機械から多くのものを引き出し、多くのことをさせ、多くのものを保存できるのだから、本当に便利なものだ。

 最新のデュアル1.4GHz PowerMac G4は最近買ったばかりだが、性能はさすがでハードディスクの容量 もたっぷりだし画像の処理も早く、ディスプレイの色も美しい。私にはもったいないような代物だが、その割にMacとしては価格が安い。でもまだまだパソコンは進歩するのだろうから、あっという間にこれに倍する性能の機種が出てくるのだろう。パソコン三昧もきりがない。

4月19日

 松本の家では梅がほぼ散り終わり、桜の染井吉野が満開となったと思っていたら、ここ数日の高温と夜の強い南風で早くも散りはじめた。咲き始めたのが13日なので、猛スピードだ。

 庭の白梅は、前に住んでおられた方が残して行かれたもの。いわゆる野梅(やばい)系なので、寒い信州でも開花が早くて、暖冬の年には正月からちらほら開くことがあるが、今年はめっぽう遅く、3月の末近くにようやく開きはじめた。近所の庭の豊後系(アンズとの交雑系)の梅の花は更に遅く、今散りはじめで、染井吉野と完全にだぶった形となっている。つまり、梅も桜も一緒に咲いている。さらに桜も、早咲きから晩生の品種まで、ずれがかなり短縮されて次々と開花が続いている。まるで春が爆発しているようだ。昨秋も短く冬がとても長くて、その上春の訪れが遅くて待ち遠しかったのに、いざ桜が咲いたらゆっくり眺める間もないまま、あっけなく終わってしまいそうで、何とも淋しい。いつもの年なら庭の十品種ほどの桜で一ヶ月近く楽しむことができるのに、今年はせいぜい二週間程度になってしまいそうだ。

 まあ先々週から先週にかけて、まず東京で桜を楽しんでいるのではあるけれど、東京の家はマンションなのでとても桜を育てるわけにはいかない。自分の庭で静かに鑑賞できる時間が短いのはやはり惜しいものだ。

 梅も桃も桜も杏も同じバラ科サクラ属(Prunus)だが、梅と桃は東アジアで特に愛されるのに、桜は欧米で好まれる。中国では桜よりも桃が好まれるようだが、欧米ではもっとも美しい花木として桜に対する人気は非常に高く、染井吉野や関山(かんざん)などはどこにも植えられている。この違いは何なのだろう。以前英国の花友達になぜ梅を栽培しないのか聞いてみたことがあるが、あまり納得のいく答えは得られなかった。

 桜が、梅や桃の美と大きく違う点は二つあると思う。ひとつは花色のクールさだ。梅や桃の花色には、どこかウォームなところが感じられる。そしてこれは服飾や建築の配色に見られるアジア的ウォームさと共通 しているように思われる。浪速は梅の名所として古くから知られ、今も大阪府の花だが、大阪は日本の都市の中でも色彩 的にアジア的ウォームさの強いところだといわれている。確かにそういう大阪と梅の結びつきもむべなるかなと思われる。

 ところが、桜の花色にはおしなべてそういったウォームな感じが少なく、むしろクールである。またそういった色彩 は日本の洗練された文化領域によく見られる。そしそてクールな色調は欧米人の好む色でもある。

 そんなアジア的色彩に加え、梅は「四君子」など儒教的価値観から、また桃は「西王母」など神仙思想、道教的思想から、それぞれバックアップされている。いずれも東アジアに特有な思想だから、欧米人にはなじみが薄い。彼らはそういう文化的レンズを通 さずに梅や桃を見てしまうので、我々が感じる梅や桃の良さが半減してしまうのだろう。

 いっぽう桜は「いさぎよい」などといわれるが、どことなくこじつけっぽく、それを確固たる美的価値観とするだけの思想的裏づけが希薄な気がする。逆にいえば、純粋に感覚的な観点からの鑑賞に向いているのだろう。

 もう一点は、桜の花の小花梗の長さから来る優雅さ。梅も桃も杏も、小花梗が短いのでガチッと枝に貼り付いたように咲く。いっぽう桜は多くの品種で小花梗が長いので、これが風情を呼ぶ。樹齢数百年の老桜でも不思議な「色気」を感じるのはそのためだろう。その意味ではむしろカイドウやナシ、リンゴに近い。そういえば白楽天が長恨歌で楊貴妃の美しさをたとえたのは、確かに梅や桃ではなく海棠や梨の花だった。

 以前、車窓から眺めるだけでは飽き足らず、甲府郊外に桃の花見に行ったことがあるが、桃は近くで見るよりも、遠目で眺めるのが良いという感じを受けた。その理由は花が枝にしがみついている感じなで、そばで見るとあまり風情を感じないからだ。桃はやはり一面 に咲いているのを遠くから俯瞰するのがよい。中央線の電車で勝沼付近から見はるかす甲府盆地は、南アルプスをバックに一面 桃色に霞み、まさに桃源郷だ。

 桜は遠目もよし、すぐそばで見るのもまた良しで、園芸的に優れている植物なのだろう。

 

 先日、門人Mさんのお父様がご他界された。おりしも桜が満開の十六夜の晩であった。深くご冥福をお祈り申し上げる。まことに不謹慎な言い方ではあるが、ある意味羨ましく思うことがある。歌人西行の歌のとおり、私もそんな頃に、というのがひとつの願いであるからだ。

 もちろんそれよりもお父様にとっては、良き娘を持たれたことが何よりも幸せなことである。Mさんは仕事、家事、育児、稽古を並立させながらお父様によく孝行を尽した。お父様もさぞ喜んでおられることだろう。

 

4月2日

 私の松本の家では猫が五頭同居している。現在のメンバーはすべて何かどうか野良猫由来である。その中でも三歳の雄「えび」は、なかなか楽しい猫だ。妹の「ゆず」と共に、天井裏で野良猫が生んだ子で、眼が開いてよちよち歩きをしている内に壁の隙間に落ち込み、私が壁に穴を開けて救出した。その時の穴は今でもそのままで、箱を置いてふさいである。全部で三頭落ちて来たのだが、一度人の手が触れた子猫なので、母猫に戻しても育てないかも知れないと思い、とりあえず私が哺乳瓶で子猫用のミルクを飲ませて育てた。みなすくすくと育って、一頭は近くの猫好きな方に貰われて行き、結局「えび」と「ゆず」が家に残ったわけだ。このあと、さらに一頭落ちて来たのだが、この時はだいぶ大きくなっていたので母親に返した。

 母猫もさぞかし悲しい思いをしたのだろう。懲りたらしく、次の年からは出産に来なくなった。まあ、また赤ちゃん猫が落ちて来ても、もう養う余裕もないけれど、いずれにしても野良猫や野良犬には何の罪もない。ペットを飼う人は最後まで責任を持って欲しいものだ。 毎年たくさんの犬や猫が処分されるという話には強く心が痛むし、放任された飼い猫が小鳥を捕ったりして生態系に芳しからぬ 影響を与えるのも良くない。

 救出した時「えび」はまだ片手で簡単につかめるほど本当に小さかったのだが、その時にすでにとてもかわいらしい音で喉を鳴らしていた。これはきっとなつくだろうな、と思っていたら、やはりとても人なつこい猫になった。今でもちょっと身体に触れただけで、よくゴロゴロと喉を鳴らす。かなり大きな猫で、ふだん外には出さないので運動不足のせいか、同居人に似てちょっと太り気味だ。ひざに乗ってくると結構重い。

 私にもよくなついていて、一週間ぶりに東京から帰ってくると、たいていは私の部屋に飛び込んで、喉を鳴らしながら、こちらが歩くあとをついて足許にすり寄ってくる。猫という動物は個性が強く、親子や兄弟でもそれぞれ性格がかなり違う。「えび」は明るくおおらかな性格で大人しいが、まだ若いせいもあるのか、じゃれるのが好きで、よく犬のように後ろ足で立って人に引っ付いて来て、喉を掻いてくれとせがむ。また頭から倒れてごろんとひっくり返り、遊んでくれるのを待ったりもする。また撫でる私の手を甘噛みして親愛さを伝えてきたり、お相手をしていても面 白くて飽きない。

 私がパソコンをいじっている時には、「えび」はよく後ろのソファの上で寝ている。ときどき甘えて私のひざの上で丸くなるのだが、撫でながら話しかけるとゴロゴロいいながら気持ち良さそうに眼を細める仕種がかわいい。猫なで声の代りに、試しに子守歌を唱ってみた。乳牛に音楽を聴かせると乳の出が良くなるともいう。シューベルトから江戸子守歌まで、いろいろなものを唱ってみたのだが、「えび」は何だか落ち着かない様子になり、そのうちにひざから降りてソファに行ってしまった。猫には歌が分からないのか、私の歌が下手なのか、歌をうたう人間ともあろうものが、こんなことでいいのだろうか。ちょっと自信喪失。

 香を焚いたら、顔を上に向けてくんくんと香りを嗅いでいた。そんな仕種もかわいいものだ。

 猫との生活もいろいろ大変なことが多いし、これまで何度か悲しい別 れを経験して来たのだが、それでも、満足げにくつろぐ猫の顔を見ていると心が安らいでくるのは何故なのだろうか。

くつろぐ「えび」

 

子猫らの 母呼び疲れ寝入る籠 いだきて遠き駅に降り立つ  拙作