vol.1  2002年8月〜2003年3月

 

3月30日

 ようやく染井吉野もちらほらと咲き始め、春めいて来たし、珍しくまともな休みがとれたので、久しぶりに日本橋のデパートの園芸売り場に行った。地下鉄からデパートの地下階に入ると、不景気の真っただ中で店をたたむ所も多いというのに、ものすごい人、ヒト。あふれかえる物、モノ。昔の不況とはそもそも質が違うのだろう。日本はユタカだ。

 屋上の園芸売り場に行くと、もう色々な花たちが賑やかに咲き乱れていた。私はケバケバ系、ゴテゴテ系、コレデモカ系の花がちょっと苦手なので、そういった花の多い、いわゆる「ガーデニング」売り場はさっさと素通 りし、足はおのずと山野草や古典的な植物、花木などのコーナーに向いてしまう。そう珍しいものはなかったけれど、やっと芽を出し始めた小さな花たちには、本当に心が和んでいくのを覚える。やはり春はいいものだ。

花をのみ 待つらむ人に山里の 雪間の草の春を見せばや

 そのあと、コンピュータ関連の部品を買うために秋葉原にまわる。日本橋とは目と鼻の先なのに客層がすっかり変わって、若者や外国人が多いが、人の多いのは同じだ。家電の街も最近はオタクの街に変わりつつあるというが、本当にオタク君たちが多いのに改めて驚く。でも渋谷や原宿よりはまだいい。パソコンショップであれこれと買い物を済ませて外に出ると、すでに日が落ちて薄暗くなっていた。このところどんどん日が長くなっているので、時間の感覚がつかみにくい。車の噪音と、これまたほとんど騒音に等しい、まるでやけっぱちのような、ただただひたすらうるさいだけの電子音楽、けばけばしい原色だらけのネオン、ぞろぞろと行き交う人々、けたたましい呼び込み・・・与謝野晶子の句をつい思い出してしまう。あまりにも場違いなゆえに。

清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵会う人みな美しき

 桜は、観る人もそれなりに美しくなければ絵にならないな、と思う。しかし平和ならば何よりだ。この平和がこれからもずっと続いてほしいと思う。できることならこの平和をイラクの人々にも分けてあげたいものだ。

3月26日 

 この駄文ばかりの「思いつくままに」を読んでくださっている方が結構おられ、感想などメールを送ってくださり、恥ずかしながら有り難い事だと思っている。

 もっとも反響があったのが、2月17日の煙草に関することで、多くの方からご感想を頂いた。ほとんどすべて同感のメールであった。みな、多くの喫煙者の無神経さに不快感を表しておられた。

 本当に日本という国は、私のような嫌煙者には何とも住みづらいところだ。じっさい今日、昼食に入ったレストランでも、なんと八割以上の来客が喫煙していた。そこいら中から臭い煙がもうもうと立ち上がり、まるで昔の戦の狼煙のよう。食後の珈琲くらいはゆっくり楽しみたかったのだが、お陰ですっかり気分が悪くなり、早々に退散するはめになった。

 なぜこんなにもみな煙草を吸うのだろう。あの臭い煙がそんなに良いものなのだろうか。どうして嫌煙者の気持ちが分かってもらえないのだろう。

 友人のJ君から、こんなメールを頂いた。

 「煙草はインディアンにおいて儀式の道具であった ということが知られております。あくまで嗜好、娯楽のためではなく神聖なシン ポルのようです。煙草の煙を吹きかけ病魔を追い払うなど、、、」

 なるほど、つまり新大陸では煙草が神聖なものであった訳だ。そうだろう。酒にしても歌にしても楽器にしても、上代には神の世界と人を繋ぐものであった。ところが、侵略者に文化収奪され堕落した、というわけである。それほど尊かったものが、この葺原中津国でも「煙魔」となって人の世に跳梁跋扈するとは、まったく堕ちも堕ちたものである。もちろん煙草から 神聖な「魂」を抜き取り堕落させたのは人間だが。

 

3月25日

 ようやく春らしい陽気になり、身体がふっと楽になったような感じがする。日中は散歩も心地よい。動物たちも楽しそうだ。昨日、近くで犬を散歩させている若い女性を見かけた。栗茶色の可愛いダックスフントなのだが、飼い主の髪も犬と全く同じ色で、見事なコーディネイト、とてもお洒落に感じた(故意か偶然かは問題ではない)。

 私は茶髪について意義というものを特に感じないし、黒髪の方がたいてい美しく感じるし、自分でもしたいとは思わないけれど、まれにこのように茶髪もいいなと思う事もある。しかし、たいへんに不遜な言い方ながら、ふつう似合っていないと思うことの方がとても多い。

 そもそも、どうせ染めるのならばもっと個性的に、ずっと様々な色にした方が楽しくはないかと思う。たとえば桜色とか黄色、渋めのウグイス色なんていうのも素敵ではないだろうか。季節によって変えても良い。春は桜色か菜の花色、萌え出づる若葉の色。初夏には藤色、新緑の色。梅雨時は花菖蒲かアジサイ色。真夏は涼し気に水色か情熱的なオレンジ。秋には紅葉や紫苑色。そして冬は雪のような白・・・髪の色をもって季節のうつろいに同調するなど、そんな人がいたらきっと楽しいだろう。顔かたちや肌の色からも、この人ならあの色が似合いそうだと思える事がしばしばある。何でも茶髪にすれば良いものではないと思う。

 茶髪にしたい動機は良く分からないが、多くの場合かなり安易なものなのだろう。つまり、著名人が染めているからとか、流行っているからというような理由からなのではないか。また、鬱屈した自分からの逸脱、変身、あるいは自己表現の手段でもあるのだろう。しかしそれならばもっと筋の通 ったポリシーのようなものが多少なりともほしいな、と思う。みんなが同系色に染めたら結局個性的ではなくなってしまう。みな茶色系ばかりで、結局たんなる「右へならえ」になってしまうのだ。本当の自分のスタイルを追求する事なく、流行を追いかける事ばかりに熱心な、いかにも日本人らしいことではある。

 結果、みな同系色の範囲にとどまってしまっているのは、あまり突飛な色にしたら奇異な眼で見られてしまうからだろう。流行に遅れたくない。しかし安全な範囲にとどまっていたい。突拍子もない色で村八分にはされたくない・・・そんな姿が垣間見えるような気がする。

 私がもし髪を染めるとするならば、ありきたりの茶色などではなく、思いきり自分の好きな色に染めたい。どうせ染めるのだから、もっと自由に遊んで良いのではないだろうか。紫でも緑でもよし。最初に挙げたように、ペットの毛色と同じに染めるなんてのはなかなかお洒落でいいと思う。自分の愛描や愛犬とお揃いのヘアカラーだったら、また楽しいのではないだろうか。特に三毛猫やポインターなどとのペアなら、また素敵だ。

 不思議なもので、私は何も強制していないし、各自の美的感覚に任せているのだが、門下生には茶髪にしている人が少ない。している人もいるが、それなりに個性や主張のようなものを感じるので、それはそれでいいと思う。一人ひとりが本当に個性豊かだからなのだろう。

3月20日

 彼岸のさなかに戦争というのも嫌なものだ。 今年はいつまでも寒くて、いささかうんざり気味だったが、やはり彼岸ともなるとだいぶ春めいて、東京では少し前からようやくジンチョウゲの香りが漂うようになった。松本の家の庭の白梅は、例年だとだいぶ咲いているのだが、今年はまだ蕾。それでも早春の草花たちが、遅ればせながらあちこちで開花をはじめた。今日は天気が良かったので、霜除けにかぶせておいた落ち葉を取り除き、肥料を与えたりした。もう色々な芽が伸びて来ている。いま盛りなのはセツブンソウの仲間たちとフクジュソウ、プシキアナ、スノードロップのいくつか。更にミスミソウ、キクザキイチゲ、キクラメン・コウムも咲き始めた。これから5月の半ばにかけて、さまざまな花たちが咲き続ける。去年は植物の世話も少し怠り気味だったので、どんな調子に咲いてくれるか心配でもある。

 平和であれ戦であれ、人の世がどんなであろうと、時がくれば花は開く。無為に咲く花たちを眺めるのは、何にもまして癒されるひとときである。

 「ああ、この花も芽が出てきた。でも今年はちょっと芽が細いなあ」などと、庭のあちこちをうろうろしている私を、木の上からいつものキジバト夫婦が仲良く見下ろしていた。

 右はエランシス・ヒエマリス(キンポウゲ科)本日撮影。「花のギャラリー」参照。

3月9日

 私は食物の「旨い」「不味い」の区別があまりつかない。特にそれほど味覚が麻痺している訳でもないと思う。当然スカスカになったリンゴとか伸び切った蕎麦とか、ちょっと時間の経った刺身などは確かに美味しくない。あるいは塩加減が強すぎたり、だしが効いていないというのは分かる。そうではなくて、人の話を聞いていると、何を基準に旨い、不味いというのか良く分からないのである。

 私は肉を食べるにしても、まずそのために犠牲となった生き物のことを考えてしまう。もともと「いのち」あるものであったものを、味覚の良し悪しだけで分別 し、気に入らぬものをおろそかにすることに、強い罪悪感を覚える癖がついてしまっている。味が良い悪いはその次だ。少なくとも、不味いという言葉は出ないのだ。亡父の食事に対する躾が結構厳しかったこともある。何にしても生き物のいのちと人の手がいく重にも加わっている事を考えよ、という教えであった。

 じっさい、腹の減り具合や体調、気分で味覚というものはずいぶんと変わるものだ。でも、何でも有り難く食べ過ぎて、無駄 なぜい肉となってしまうのも、これもまた「いのち」を浪費しおろそかにしていることになるだろう。この意味で私は大失格である。

3月7日

 「一週間の歌」というロシアの歌謡がある。「月曜日に市場へ出かけ・・・トゥリャトゥリャトゥーリャーリャ〜」という、私くらいの年代の方なら誰でもご存じだろう。子供の頃、この歌で一週間かけて行なわれていることなど、1日でできるじゃないかと思っていた。しかしこの頃は、この歌の通 りなのだなあと思う。あれこれやらねばならないことは次から次へと出て来る。やりたいこともいっぱいある。それなのに時間のたつのが早い早い。一つを済ませるのにも時間がかかり、次は明日にしようなどと先延ばし。結局この歌の通 りなのだ。

 昨日もレッスンが終わって空いた時間のうちに、買い物に出かけようと思っていたのだが、何となく面 倒臭くなってしまって、まあいいや、明日にしようなんて思っていたら、今日はまた雪が積ってしまって、行きそびれた。こんなことなら昨日のうちに行っておきゃ良かったと思っても後の祭り。いつもこんなことを繰り返しているような気がする。何ごとも先に先にとやって行かなければと思いはするのだが、つい「明日があるさ〜」などと思ってしまう。

 いつ死んでも良いくらい「明日はない」心構えで行かなければ、と、反省することしきりの今日でした。

3月3日

 太陽暦ではきょうが桃の節句、雛祭の日。デパートや人形店には小さなものから豪華なものまで、多くの雛飾りが展示されて華やかで美しい。子供の頃、この時期に近所の女の子の家には雛人形が飾られて、とても羨ましかったのを覚えている。博物館や旧家で古い時代の豪華な雛飾りを見ることがあるが、実に良く出来ていて、素晴らしいミニチュアセットになっている。ミニチュアといえば、最近フィギュアがはやっているらしい。昔からあるチョコレートなどの「おまけ」として売られていたり、単独でも色々なシリーズものが発売されていたりと、大変な種類が出回っている。

 また色んなものが流行り出すものだなあと思っていたが、アニメのキャラクターや怪獣、妖怪から考古物、古生物、現生動物、昭和三十年代の器物など、じつに様々なものがあり、しかも、とても良く出来ているものが多い。事務のS君はこれらの収集が趣味で、驚くほどたくさんのコレクションを持っている。小さいからそれほど場所を取るものではないし、並べられたフィギュアを見ると確かに楽しい。子供の頃に夢中になったアニメや怪獣映画のキャラクター達は一種の郷愁の様なものを感じさせるし、鳥のフィギュアなど、小さいけれど高価な陶磁器製品にひけを取らぬ ほどのできばえに感心する。専門の雑誌も出版されていて、見ていると楽しくてつい引き込まれてしまう。

 日本人は、そもそもこういった小さなものが得意である。雛人形や根付、盆栽などもまさにフィギュアである。「フィギュア盆栽」なるものを一度見たことがある。盆栽の根元に色々なフィギュアを置いて、なんらかの物語性を持たせたもので、私も最初はせっかくの盆栽が何だか俗っぽくなって嫌だなあと思っていたが、良く考えてみるとこの盆栽の木は能舞台の背景に描かれている「松羽目(まつばめ)」と同じなのである。能舞台の松羽目は、演目によって磯辺の松にもなれば深山の松にもなり、また庭の松ともなる。そう考えるとなかなか面 白い。鉄道模型なども楽しいし、単なる子供の玩具を超えて、ミニチュア文化もなかなか奥が深いものだ。

2月25日

好評のオリジナル料理のご紹介

あさりと青梗菜、椎茸の中華風パスタ

材料(二人分)

ごま油・適当
甜麺醤・大さじ2
豆板醤・小さじ1(好みに応じて増減。なくてもよい)
オイスターソース・小さじ1
ねぎ・半本
にんにく・1かけ
老酒・大さじ1
味醂・小さじ1
片栗粉・小さじ1

アサリ剥き身の缶詰・200g

干し椎茸・4〜5枚
チンゲン菜・2本
スパゲティ・適当

 

作り方

01. 干し椎茸は水で戻し、細く切る。
02. チンゲンサイは適当に切る。
03. フライパンにごま油を熱し、ねぎの小口切り、にんにくのみじん切りをさっと炒める。
04. あさりを汁ごとあけ、干し椎茸のもどし汁、老酒、味醂を加え軽く炒めてから、甜麺醤、豆板醤を加え、更に炒める。軽く火を通 す程度で炒め過ぎないこと。
05. 片栗粉を少量の水で溶いたものを廻しかけて加熱しながら混ぜ、とろみをつける(A)。
06. Aを別に移してからごま油を少々足して、干し椎茸を炒め、チンゲンサイ、オイスターソースを加えて交ぜながらさっと炒める。オイスターソースは少なめにすること(B)。
07. 茹でたパスタを皿に盛り、その上にAをかけ、更にBを色どり良く盛り付けてできあがり。
08. 比較的とあっさりと仕上がるが、更にあっさりとさせたい場合には、干し椎茸はあさりと一緒に炒め、チンゲンサイを少量 の塩を入れた湯で軽く茹でて適当に切っておいたものを出来上がりに上に散らすとよい。

 

 

 

 

 

 

2月21日

 この冬は暖冬の予想を裏切って寒かった。それでも、ようやく春らしさをそこここに感じるようになった。南国ではもうかなり春めいていることだろう。

 庭では、すでにいくつか、小さな植物達が芽を持ち上げはじめている。福寿草やスノードロップ、プシュキアナなどといった早春の花達は、もう蕾さえもたげている。例年だとあと2週間ほどでセツブンソウやスノードロップ、野生キクラメンが咲き始める。信州の冬は長く厳しい。雪が少ないから一面 の銀世界などということもなく、常緑樹は少なく、あっても葉を変色させ、縮こまって冬を越す。すべて冬枯れと、雪のアルプスという内陸夏緑林地帯の景色。それが一気に、目くるめくように状景が変化し、劇的に春が展開する。

 私は、だから松本の家では冬はあえて室内植物を咲かせたりしない。花のない時期があり、花に飢えるからこそ、花はなおさら美しいのだと思う。春が余計に嬉しいのだと感じる。

 いっぽう、いくら寒いとは言っても1月でもツバキやサザンカが咲き、常緑樹の緑がつやつやと輝く東京の「冬」景色は、最初なかなか馴染むことができなかった。本当の冬のようには感じられない。実質的に信州で言う早春だ。となれば、春が長く緩慢に推移する。梅や桜はその途中で一応の区切りをつけるように咲く。そう考えれば「ゆく春や重たき琵琶の抱き心」という蕪村の句も、そんな春の長いところの、いささか春に倦み飽きたようなけだるさが感じられなくもない。しかし、この照葉樹林地帯こそが、弥生時代以来日本文化の発展の場であった。しかし江戸の文化は照葉樹林文化と夏緑林文化の前線「フロント」で生まれたのだと思う。蕎麦切りなどの食文化が良い例だ。

 さて、東京にいると不思議に冬でも花が欲しくなるのは、緑が少ないことと、ここが冬でも花の咲く照葉樹林地帯だからなのだろう。うまい具合に、東京の家があるマンションの一階は花屋である。私のあまり好まない一般 向きの華美な花が中心だが、それでも花は美しい。前を通るたびに有り難く眼の保養をさせて頂いている。

2月17日

 愛煙家の方には大変申し訳ないのだが、私は煙草が非常に苦手である。お香の烟なら好きなのだが、煙草の煙は私にはただただひたすら臭いだけで、気分が悪くなってしまう。列車に乗る時にも絶対に禁煙車しか使わない。私が密かに「移動する燻製工場」と呼ぶ喫煙車輌を通 り抜けるのも苦痛だ。またタクシーでも、運転手さんが客待ちの間に吸う煙で車内の空気が汚染されていることがあり、しばしば閉口させられる。そんな車に乗ってしまったら、真冬でも窓を目一杯開けて寒い思いをしながら空気を入れ替えなければならない。

 最近はとみに若い女性や高校生等に喫煙愛好者が増えているように見受けられる。高校生の喫煙は、たぶん思春期の反抗心から来る一種のファッションなのだろう。昔はよくこっそりと吸っているのを見かけたものだが、最近はわざと人前で堂々と吸っている。それが恰好いいことになっているらしい。まったく幼いと言えば幼いものだが、それが彼らの精一杯の自己表現なのだろう。まあ親達にしてみれば、たちの悪い非行に走られるより、その程度は見て見ぬ ふりというところなのだろう。

 飲食店に入れば、若年層の客の内半分以上が喫煙している。特に女性に多いのだが、喫煙している姿というものは、男女を問わず私の目には美しく映ることがない。

 何しろ、人間に働きかける主要な成分がニコティンという、殺虫剤にも使われる有毒物質であるという程度は知っているのだが、とにかく喫煙は見た目も煙も、私にはまったく価値の理解できないものだ。試しに吸ってみる気は起きないけれど、喫煙には積極的な意義、医学的効用などがあるのだろうか。たぶん喫茶や飲酒、あるいは猫のマタタビなどと同様の、酩酊や覚醒などの精神作用に近いものがあるのではないかと推測をしているが、愛煙家の方になぜ喫煙をするのか伺っても、なかなか説得力のある返答を頂いたためしがない。ただ、コロンブス以降「旧世界」に煙草と喫煙の習慣が持ち込まれて急速に普及してしまったところや、禁煙用の機具まで売られているところをみれば、タバコは人間にとって相当強いインパクトと常習性をもたらすものであるだろうと言うことは理解できる。

 しかし飲酒のように儀礼と深く関わっていたり、喫茶のように精神性が重要視されたりというような文化性が、同じく喫煙に関して存在するのだろうか。地歌「笹の露」は酒の徳を讃えた曲で、歌詞に「劉伯林や李太白、酒を飲まねばただの人」という部分がある。もちろん誇張的表現ではあるけれど、酒がインスピレーションの触媒ともなっているということだ。茶や珈琲、香もそれぞれ精神的に高い文化を持っている。タバコにもそういう精神的な作用があるのだろうか。推理小説に、よく探偵が喫煙しているのを美化して描いている場面 があるが、喫煙すると頭脳が活性化するのだろうか。そもそもそんなことを書くくらいだから小説家には愛煙家が多いのかも知れない。もちろん、喫煙もそれなりに何かしら文化を築いて来たのだろうとは思う。江戸時代のキセルなど、見事な工芸品もその副産物と言える。

 どなたか煙草の「功」を納得行くように説明してくださる方はおられないものだろうか。はっきり言えるのは「罪」のほう、つまり喫煙が肺がんの原因となることと、火災の主要な原因の一つとなっていること、部屋の天井や壁が煤けること、そして嫌いな人にはその煙がひたすら迷惑なことである。今や、日本人の癌は肺がんがトップである。喫煙がその主要な原因となっていることは確実だ。ところが日本は、社会全般 が喫煙に対して非常に寛容で、未成年の喫煙禁止など、あってないようなものであるのも無理はない。嫌煙者に対する配慮も極めて低く、飲食店での喫煙も禁止されていない。そして歩きタバコやポイ捨てなどをする不心得者が少なくない。

 禁煙に関する法律があまりにも不備なので、現実には喫煙者個人個人の良識に頼るしかないが、飲食店などにも禁煙、分煙の推進を徹底してもらいたいと思う。もちろんきちんとしている喫煙者もおられるが、配慮に欠けた人も多いのは事実。社内会議のおり、ほとんどが喫煙者なので、いつも嫌な思いをしているという友人がいる。飲食店で酒が入るとつい気が弛んで、周りの迷惑も顧みずにスパスパやりだす人も多い。このように、嫌煙者に対する配慮があまりにも欠如しているのが日本の現状である。社会全体、喫煙が当たり前という前提になってしまっているから、嫌煙者は社会的弱者となってしまっていて、嫌が応にも多くの場で甘んじて我慢するしかないのである。

 分煙をしている飲食店などもあるが、煙の性格というものをよく考えてほしい。形だけ禁煙席を設けても、喫煙席と同一空間ならば嫌でもあの臭い煙が漂って来てしまう。嫌煙者にはそれだけでもじゅうぶんに不快なのだ。レストランなどで、かなり離れていても、流れてくる臭い匂いを嗅がされるのは、私のような嫌煙者には苦痛、不快以外の何ものでもない。喫煙者の方には、是非それを理解して頂きたい。

 もちろん、喫煙に価値を見い出しておられるご本人が楽しむのは自由である。心行くまで好きなだけ楽しまれれば良い。ただし、他人に不快感を与える権利はないはず。ご自分が出された煙は百パーセントご自分で責任を持って処理して頂くのがマナーというものであろう。嫌煙者の忍耐と寛容の上に胡座をかいて喫煙をするようでは、人間的にもとても尊敬できたものではない。

 「喫煙ヘルメット」などどうだろう。潜水服か宇宙服のような、完全に外気と遮断されたヘルメットを被って、その中で喫煙する。そうすればすぐ隣にタバコ嫌いがいても平気だ。思う存分、いくらでも好きなだけ吸うことができる。あるいは街中や公共施設、デパート、飲食店などに電話ボックスのような「喫煙ボックス」を作る。そのための費用は煙草メーカーが持つか、タバコの価格に上乗せして喫煙者に負担して頂けば良い。いずれにしても、その位 の責任感を持って喫煙して頂きたいものである。

 

2月7日

 私は小さな時からUFOと か未確認動物といったものにとても興味があり、特に未確認動物については文献などもよく読んで いる。ネッシーだとか、チャンプ、オゴポゴ、ジャノワール、キャディ、ミゴー、アルマス、野人、ビッグフット・・・普段ほとんどテレビを利用しない人間なのに、新しい目撃情報が入ったなどというテレビ番組があったりすると必ず見てしまう。

 有名な写 真が実はインチキであったと撮影者本人が懺悔していらい、すっかり信用が堕ちてしまったネッシーだが、しかしネッシーを捉えたとする写 真は他にもたさんある。むしろあの写真は研究者たちによって信憑性が疑問視されていた。決して恐竜の生き残りなどとは思わないけれど、何か大きな、知られざる生物が棲んでいることを私は信じている。

 右の画像は十一年前の秋 にスコットランドのネス湖を訪れた時に撮影したネガフィルム画像。最近それをスキャナでパソコンに取り入れていた時に変なものを見つけた。

 かつて氷河の侵食によってできたという、非常に細長いネス湖岸のほぼ中間地点に、アーカート城という城の廃虚がある。そこから多分もともと船着場として使われていたであろう、ほんの猫の額ほどの狭い砂浜に下りることができる。この画像はその波打ち際から南西の方角を撮ったもので、その時には全然気がつかなかったのだが、拡大してみると、沖合いに灰色がかった、何だかよく分からないものが浮かんでいる。通 常サイズの写真に焼いたらごく小さくてほとんど分からないくらいだ。ひょっとして、もしかしてネッシーか、と色めき立ったのだが、そうではなくてたぶんこれは船だろう。

 というのも、浜辺に下りる前、城の窓から湖の北東側を撮った写 真に一隻の船が写っていて、南西の方角へ舳先を向けているからだ。おそらくその船でははないかと思う。もっとも色は全く違っていて、船体は白、下半分は赤茶色に塗られているのだが、たぶん船が進んで逆光の位 置に来たために、こんな色に見えているのではないか。他の写真にはこれ以外船は写 っていないので、別の船ということでもなさそうだ。

 フィルムに付いたゴミや傷でもないようだ。拡大してみても何だかよく分からないが、ネッシーである可能性は極めて低いと思う。思い込みは禁物だ。過去の目撃例でも、こうして船などを誤認してしまうことも少なくないのだろう。でも、それでももしかして、と思う気持ちもほんの少しある。万一ネッシーであったのならすごいことだが、まあ別 にそうでなくても、ワクワクさせてもらっただけでもよしとしておこう。

 将来、これら未確認動物について学術的に詳細が判明すれば素晴らしいが、夢のままでいてもまた良し。何よりも捕獲などしようとして、彼らを傷つけたり、生態系にダメージを与えたりするような愚挙だけはやめてもらいたいものである。

 そもそも高緯度にある、どこかくぐもったようなスコットランドの独特な風光は日本とはまた違った不思議な魅力がある。芳醇なスコッチでもあれば言うことなし。

2月4日

 陰暦でも新年を迎え、陽も力強さを取り戻して来た。まだまだ寒いが、それでも寒さの峠は越え、春の訪れも遠くない。スノードロップやセツブンソウも、小さな蕾をもたげてくる。

 私は幸いに花粉症もなく、この時期がとても好きだ。どこまでも澄み切った青空に、明るい光の粒子が元気一杯に転がり廻っている。嫌なことがあっても、そんな空を眺めていると気分がスッキリして来る。そしてようやく長い冬が終わりかけ、春を待つうずうずとした気持ちがまたいい。私は春が大好きだが、もしかして春本番よりもこの時期の方が好きかも知れない。

 こんな青空の様子にイメージを重ね合わせてしまう曲がある。それはフランス印象派の作曲家ドビュッシーの「アラベスク(1888年作曲)」。ピアノ曲だがハープでも演奏できる。キラキラとしたハープでの演奏の方がイメージが合うようだ。もちろん私のイメージの中での勝手な結び付けだが、私には何だかとてもピッタリに思えるのだ。「アラベスク(Arabesque)」とはフランス語で「アラビア風」という意味で、もともとアラビア建築の美術的装飾のこと。その意味から、装飾的で幻想的な曲にしばしば冠せられる。

 そういえばドビュッシーの作品には「月の光」もある。さやけき月の光を見事に表現している。このように印象派の音楽には確かに「光」を感じさせるものがあるようだ。しかしながらこのようなフランス音楽の持つ研ぎ澄まされた感覚性は、ずっと古くロココの音楽にも感じ取ることができる。シャンソンにもまた同じような感覚を感じることがある。

 邦楽には「色」を感じさせる曲が多いが、そのあたりフランス音楽との類似性があるように感じられ、とても興味深い。

1月24日

 一昨日一週間ぶりに松本の家に戻ったら、昨日は珍しくかなりの積雪に見舞われた。昼間中降り続いて、40センチほどにもなってしまった。雪国の人には笑われてしまうだろうが、このあたりとしては相当の大雪だ。一面 の雪景色で、子供の頃ならば単純に大喜びするところだが、大人となってはそうそう喜ぶわけにも行かない。私の家は敷地も大して広くないが角地で、北側が約15メートル、東南側が約25メートル、それぞれ道に面 している。ここの雪掻きをしなければならない。雪質が軽いので幸いだったが、それでもひととおり掻き終わるのに3時間を要した。庭のヒバの木から、いつも宿りに来るキジバトがひっそりと雪を避けながら、私の雪掻きを見ていた。

 このあたりは雪国と違い、積雪は少ないのだが、ここ数年というもの、例年に比べて雪が多い。関東でもよくある、春先にドカっと降るタイプの積雪で、信州では冬本番は北部の多雪地帯に大量 の雪が降るが、いわゆる「三寒四温」の、春先の気圧配置になると時々中部や南部でドカ雪が降る。長続きはせずたいてい一日で止むが、一度に20から30センチほど積る。これを信州では「上(かみ)雪」と呼ぶ。大抵は三月に降り、たまには桜が満開の頃にも降ることがある。それが、この頃は一月にずれ込むようになったという感じだ。何年か前には百年ぶりという大雪に見舞われ、この時は一度に70センチもの雪が積もった。雪国の人の苦労が身に染みたことであったが、タイの知人はとても喜んでいた。熱帯のタイでは雪は降らないけど「雪」という言葉はあるの?と聞いたら「ヒマ」と言うんだと教えてくれた。なるほど、サンスクリット語でも雪を「ヒマ」と言う。「ヒマラヤ」とはサンスクリット語で「雪の蔵」という意味だ。だからおそらくタイ語の「ヒマ」はサンスクリットから来ているのだろう。

 今日になって、さすがに腰が痛いのは歳のせいか。いやたぶん運動不足だろう。

1月22日

 電車の中で笑ってしまったといえば、かつてこんな経験をしたことがある。ある日の夕方、乗り込んだ電車の向い側座席で、初老の女性が二人で仲良く会話に花を咲かせておられた。とても楽しそうに話が弾んでいる。聴くともなしに耳に入ってくる感じでは、どうも姉妹らしい。こうしていくつもの駅に停まりつつ二十分ほど、その間お二人は相変わらずああでもない、こうでもないと、ずっと楽しそうにおしゃべりをつづけていた。

 その内に電車はK駅まで来た。片方のご婦人がふと窓の外を見て

「あら、変ね。ちょっとお姉さん、K駅よ、たしかここってさっき通 らなかったかしら」

するともう片方の女性が

「そうねえ・・・そういえばG駅も二回通ったような気がするわね」

「あらやだ、じゃあ、N駅に着いたのに気が付かないで戻って来ちゃったのよ」

 どうも会話に夢中になり過ぎて、終点のN駅に着いたのに、そのまま電車の折り返し運転にも気付かず乗ったまま戻って来てしまったらしい。

 お姉さん、笑いながら

「あらあら、やあねえ、また戻らなくっちゃ」

と、次の駅で降りようといそいそ支度するのを妹さん、押しとどめて、

「駄目よお姉さん、次の駅じゃ向こうのホームに行くのに階段昇り降りしなきゃならないから、もう一つ先の駅まで乗ってましょう」

お姉さん

「今日は晩ご飯が遅くなるわねえ、ははは」

何ともほがらかな姉妹であった。

1月11日

 電車の中で取り留めもなく考え事をしていたら、ふとおかしかった記憶が蘇って、つい思い出し笑いをしてしまった。幸い空いていたので誰にも見とがめられず良かったのだが、うっかり突然ニヤニヤしだしたら、周りの人もさぞかし気持ちの悪いことだろう。ただ可笑しかったり愉快だったり、楽しい時には人間自然と表情も明るくなる。そんな表情はいいものだ。

 可笑しい夢を見て、自分の笑い声で目が醒めたことがある。夢の内容というのはとても忘れやすいもので、どんな内容だったか残念ながら覚えていないのだが、他の人からも自分の笑い声で目を醒ました話を聞いたことがある。またもういちどそんな経験をしてみたいのだが、ふだんはとりとめもない夢ばかり。時には嫌な夢も見る。

 別に面白くも何ともないのだが、自分の家にまだ部屋があったという夢をたまに見ることがある。これは自分の願望がストレートに出ているのかも知れない。じっさいにそんなことがあればいいと思うのだが。

 何にしても楽しい夢は良いものだ。

1月8日

 星が美しい。シリウス、リゲル、ペテルギウス、アルデバラン、カペラ、ポルックス、プロキオン・・・冬の一等星たちに木星、土星の輝きが加わり、さらにすばるやオリオンの三つ星、小三つ星、北天にはカシオペア座も。冬の夜空はなんとも華やかだ。

 子供の頃はもっとたくさんの星を見た。昔に比べてすっかり星も見えにくくなったものだ。今でも高い山など暗く空気の良いところで見る星空は格別 で、星明かりという言葉も納得できる。ベイエリアの夜景が自然よりも美しいと書いた作家がいる。確かに美しいとは思うが、私はそれよりもそんな星空の方が美しいと思う。

 もし月面に立てば、はるかに美しい星空を見渡すことができるだろう。昼間でも夜と変わらず星が見られる。ついでに地球から見る月の四倍もある大きな地球も美しいことだろう。月の温泉(たぶんないだろうが)にでも入りながら、そんな光景を眺めてみたいものだ。

平成十五年元旦

 明けましておめでとうございます。本年もどうぞよろしく。

 風もなく良く晴れて、とても穏やかな元旦となった。今年も松本の家で新年を迎えたわけだが、ここに越して来たのが十三年前で、それからつい一昨年まで、家の正面 である東側は、道の向こうが千坪ほどの空き地となっていた。その向こうに駅のホームが見え、その上には中信高原のたおやかな山並が続き、日の出を玄関先から眺めることが出来た。ところが一昨年から空地の宅地造成が始まり、去年はついに朝日を見ることができなくなってしまった。もう初日の出を玄関で迎えることができないのはちょっと残念。

 一時はマンション建設のうわさもあったのだが、まあ結局は戸建て住宅となり、よかったと思う。中心市街地から一駅となりのあたりまでは、この頃どんどんマンションが建っているのだが、さすがにこのあたりは市内でもまだ高い建物が少なく、緑も多く、 各戸の敷地も比較的ゆったりしている地域なので、 いまだに日当りや眺望は良いのがせめてもの救いだ。東京の家のあたりなどでは、最近は高層マンションがひっつくように林立するようになって来た。駅前だからということもあろうが、マンションの密集というのも窮屈に感じる。

 

 さて、今日は陰暦ではまだ11月29日である。今年のいわゆる「旧正月」は2月1日だ。気象のデータを見てみると、陰暦の元旦のころ、つまり現暦で一月の終わりから二月のはじめにかけてのころ、平均気温が最低に達する。それが過ぎると次第に温かくなって来るわけだ。つまりこの方が「初春」という言葉に相応しい。光が強さを取り戻し、日が長くなって来るのを実感できる頃でもある。「あらたまの春は氷も解け初めて」と地歌「桜川」にもあるが、まさになるほどと思う。

 一方、暑さの極は八月の前半、まさに旧盆はそこにある。旧正月も合わせ、昔の人は身体に最も負荷をかけさせる寒暑の極に、体をやすらえることをちゃんと知っていたのだ。

 今は、盂蘭盆はとにかく、正月はグレゴリオ暦で祝っている。これではバランスが悪い。どうだろう、昔のように旧正月を祝うようにしては。まだまだ寒くなるのに形だけ「初春」では嬉しくもない。陽の力が増し万物が目覚め、新しい生命の息吹きが始まる時こそ初春、元旦に相応しい。

 西洋でも、現暦と古い「カエサル暦」とにやはりずれがある。Octoverは今は十月だが、タコを英語で「オクトパス」というように、Octoはラテン語の8であり、つまりカエサル暦では八月という意味だった。水無月(みなづき)も梅雨のさなかの六月では全くおかしい。梅雨が開けて大平洋高気圧に覆われる頃こそピッタリ来る言葉だ。

 中国や韓国では今でも旧正月の方を祝う。日本は「一辺倒」だが中国は「両辺倒」だという。つまり相反する価値観を共に持つことができる国民性ということ。じっさい儒教と道鏡、共産主義と資本主義、理念と現実主義、陰暦とグレゴリオ暦・・・まったく背反する二つの価値観を難なく両立させている。何ごとも一辺倒で心が狭く、理念も持たなければ現実も直視しない日本を尻目に、これから中国はますます発展していくことだろう。

12月8日

 ゆうべ松本では雪がちらついた。気温が低くないので道などには積らなかったが、木の葉の上などはうっすらと白く化粧していた。風もなく静かに降る感じがとても美しく思えた。

 松本は標高六百メートルもあるから、冬はかなり寒い。が、幾重にも高山によって海から隔てられた内陸なので雨や雪が少なく、晴れていることが多い。年間の日照時間は宮崎県や高知県の太平洋側に匹敵するほどだ。昼夜の温度差が大きいので、夏は日中三十度を超す日も結構あるが熱帯夜はまずないし、冬は冬日が多い反面 、昼間はたいてい零度以上となる。つまり真冬日が少ない。雪もさほど積もらず、二十センチも積もれば結構な騒ぎとなる。決して「雪国」ではない。

 しかし、一般 に信州というと多雪というイメージが非常に根強いらしく、東京にいるときにしばしば「松本は今頃沢山積もっているでしょうね」などと言われる。いや東京に毛が生えた程度ですよと言っても、なかなか信用してもらえない。じっさいに雪の多いのは信州でも新潟県、富山県との県境地域と高山に限られ、中部から南の広い範囲の平地ではたいして積もることがないのだ。

 なぜこのようなイメージが定着してしまったのだろう。ひとつ思えるのは、テレビなどの天気予報で、北海道以外は県庁所在都市の予報しか報道されないということがあると思う。信州の場合、県庁のある長野市はきわめて北に遍在しており、松本をはじめ他の主要な都市に比べると確かに雪も多い。それが全信州の気候を代表するように思われてしまうのだ。県庁所在都市偏重主義が誤ったイメージを定着させているといっても過言ではない。

 他の地域でも、たとえば関東の県庁所在都市などつい眼と鼻の先にあって、そうたいして差がなさそうな所でも、その県の気候を代表するかのごとく表示されている。これは正しいのだろうか。県庁があれば、それだけで何でもその県の代表となるなど私にはナンセンスに思える。藤沢とか八王子とか、熊谷、松戸などなら、首都圏でもかなり気候が違うはずなのに、いくら都県庁があるとはいえ、近接する東京、横浜、さいたま、千葉の各都市のたいして変わらない気候を並べて何になるのだろう。

 まして信州はとても広い。北と南では気候も相当に違う。中南部の住民にとって北の彼方の気候だけ示されても、役に立たないこともある。つまり、不利益をもこうむっている訳だ。こんな県庁所在都市偏重主義による同じような例は、きっと他にもあることだろう。

12月3日

 今月1日からJR東日本のダイヤが「変更」となった。「はやて」が登場したり、りんかい線と埼京線が直通 したりと、かなり盛り沢山だ。 私は中央線の特急「あずさ」「スーパーあずさ」を頻繁に利用しているのだが、今回「あずさ」の車輌がすべて新型となった。これはきわめて乗り心地がよく、ゆったりしていて気に入っている。在来線だから二時間半かそれ以上も乗っていなくてはならないので、乗り心地の良いのは何よりだ。加えて中央線は車窓の景色がとびきり美しいので、窓が大きくなっているのもいい。ブルーリボン賞も受賞したらしい。長年親しんで来た旧型に乗る機会が少なくなったのはちょっと淋しいけれど、年間六十回も「あずさ」に乗っている人間として、この点は嬉しいことだ。

 ただ、これまで二往復あった総武線直通 、千葉始発、千葉行きの「あずさ」が、一往復になってしまったのがとても残念だ。しかも残る一往復も秋葉原駅は通 過となってしまった。これまでは秋葉原や錦糸町、船橋などで乗り降りできて、山手線の東側の人間にとって、混雑に身をさらす時間が減ってとても助かっていたのである。私もよく利用していたし、利用客も決して少なくなかった。なぜこんな便利な便がなくなってしまうのか、理解できない。

 利用客が少ないのだろうか。いや、わたしの知る限りけっこう利用客は多かった。もしそうだとすれば、その原因の一端はJR自身の宣伝不足にもあると思う。もう十年以上も走っていたのにも関わらず、秋葉原の駅にあずさが来ると「えっ、あずさがどうしてここに停まるの?」という顔の人がいつでも多かった。そもそも総武線に「あずさ」が乗り入れていることを知らない人が多い。これは松本と横浜を結ぶ「はまかいじ」についても言える。新幹線ばかり盛んにPRする陰で、在来線特急の宣伝が相当おろそかにされていることをつくづく感じる。

 長年親しまれた夜行列車もいくつか廃止された。社会情勢の変化や様々なニーズに応えるため、ダイヤが変わって行くのは当然と思う。ただ、それが本当に多くの乗客のためになっているのかどうかはかなり疑問だ。じっさい「改正」と銘打つ割に、便利になったと感じ得ないことが多いのも事実である。本当に「改正」なのだろうか。私にとってみれば、冒頭で使った「変更」のほうが相応しいと思うのだが。

11月27日

 寒い中、リサイタル御来聴頂きました皆様、誠に有り難うございました。心より御礼申し上げます。今後も努力を重ねていきたいと思いますので、どうぞお見限りなきようお願い致します。

 今回の演奏で、五絃胡弓について好意的なご感想を多数頂いた。「包み込まれるような温かい音色」「迫力がある」「しっとりとして品のある心地よい音」など・・・この楽器をはじめて作ったのは六年前だが、これまでに様々な工夫、改良を加えて来て、今回ようやく納得できる音になって来たと自分でも思っていたので、その点については一定の評価を得つつあるものと、嬉しく思っている。

 胡弓本来の良さを失わず、かつ豊かなボリュームと広い音域を目指した目的はほぼ達せられたようだ。ただし、細々とした、哀調切々たる音だけが胡弓の魅力だとお考えの方には、さぞかし邪道と思われることだろう。しかしそれは、ほんらい胡弓が潜在的に持つ様々な表現力の中の、一つの面 にしか過ぎないと私は考えている。胡弓の可能性を、一面 的な固定観念をもって封じ込めてはならないと思う。過去の胡弓の名人方も、私と同じ考えであったはずと思う。今後も工夫とともに、技法の研究や、よりこの楽器の長所を活かす曲づくり、曲さがしもしていきたいと思っている。

 以前からヴィオラの様といわれることもあるし、今回、馬頭琴の音に似ているというご指摘もあったが、それは偶然の必然だろう。もとより馬頭琴やヴァイオリン族に追従したつもりは毛頭ない。そもそも弓奏楽器は、撥弦楽器ほど音色に重大な差が出ないものであると思う。もちろん違いはあるがそれは主としてずっとデリケートな範囲に関わるもので、「弓で弾く」という方法で奏される音色には、あらゆる地域民族を超えて強い共通 性が見られる。たとえば胡弓と二胡が混同されてしまう原因の一つもそこにあると私は考える。まして低音となると、音色の差を認識しにくくなる。だから低音になればなるほど、どの楽器の音色も近寄ってきてしまう。つまり、たまたまその人にとって、自分の音楽経験の中でもっともそれに近似した馬頭琴やヴィオラの音に比定して受け取ったということなのであろうと私は解する。

 ひろく、世界のあらゆる擦弦楽器の音色を聴けば、私の五絃胡弓が、胡弓以外の特定の楽器を追随したのではないことが分かっていただけるだろう。しいて私が理想的と思っている擦弦楽器を挙げるならば、インドのサ−ランギ(それもラ−ム・ナラ−ヤン師の)、そしてヨーロッパのヴィオール(ヴィオラ・ダ・ガンバ)である。

 もっと宣伝をして世に知らせるべきというご意見も頂いたが、何ごとにつけても華々しいことが不得手な私としては今程度で十分と思っている。今はインターネットがあるから、知る人は知る。分かる人にだけ聴いていただければ十分だと考えている。

 私の知り合いに、退出、歩き方、演奏の仕種、表情など観客からの見栄えをきっちりと計算して素晴らしい舞台を作り上げる演奏家がいる。彼の演奏はとてもきまっていて格好いいし、もちろん腕も素晴らしいのだが、音だけでなく視覚的にも一つのショウとして人に訴える力を持っている。残念ながら私はそういった点に関してかなり無頓着で、取りあえず演奏さえ何とかうまくできれば、見た目は最低限を保てればいいという姿勢である。無理なく自然にそのままの自分を出すことができるなら、それでいいと思っている。

10月14日

 昔に比べて電車が遅れることが多くなったような気がする。まあ多くは数分程度だが。毎日まいにち、正確に沢山の列車を運行させるというのは大変なことだろうと思う。しかしそれでもなお、諸外国のダイヤに比べて我が国の鉄道の時刻はとても正確だ。これは日本人の几帳面 な性格を反映してもいるのだろう。テレビ等の中継も秒刻みで、傍で見ているとびっくりだ。鉄道のダイヤや放送だけではない。日本人は時刻、時間に関してとても厳密だと思う。そればかりか、時間管理がうまくできるかどうかが個人の人間評価の大きな基準ともなっている。それに照らせば私など確実に最低の人間というレッテルが貼られること間違いない。
  たとえば、私は待ち合わせに遅れたりすることがある。どんなに急いでいても間に合わないことがある。何時きっかりにどこそこで、という約束でもした場合、前日からよくよく心の準備をし、遅れることのないよう神経をそのことに集中して万全の体勢を整える。そのくらい気合いを入れないと遅れてしまうことが多いし、またそのこと自体が精神的に大変疲れるのである。待ち合わせに時間通 り行くというのは、私にとってはかなりの重労働なのだ。逆に、今日は余裕で間に合いそうだなどと思っていると、こんどは電車が遅れたり、急用の電話が来たりしてまた遅れたりする。何にしてもなかなか思うようにならないのが結構辛いのである。

 ただ、相手にも迷惑をかけるし自分もまた嫌な思いをするから、遅れることの辛さを嫌というほど身に染みているので、逆の立場になった場合、つまり相手が遅れても私はまず文句を言わない。

 しかし、ダイヤならともかく、日常でもそんなにキチキチ、セカセカと何ごとも時間に正確なことばかりがいいものなのだろうか。例えば江戸時代など、時間の概念は今よりもずっと大ざっぱなものであったはずだ。そもそもが季節によって昼夜の長さに合わせて時間単位 が伸び縮みする「不定時法」であったし(このほうがより人間に即していると思うのだが)寺の時の鐘にしても、そんなに正確な訳ではなかった。またヨーロッパだって19世紀中頃くらいまでは同じようなものだったのではないかと思う。

 時計の精密化、産業革命による効率化・・・いつの間にかすべての人間を分秒単位 で縛り、切り分けることが当たり前のようになってしまった。そのことに今の人間は馴らされ過ぎてはいないだろうか。

 演奏会にしても、何時きっかりまでにホールを出なければならないから、一曲ごとに演奏時間を定めて、ストップウォッチで本番中の演奏時間を計測するなんてことも現実にある。でも、これはさすがにいささかやり過ぎの気がする。それで果 たして本当に良い演奏ができるのかどうか、私には自信がない。

 かつて、ある演奏会の幕間、次の曲のために舞台上で一生懸命で大勢の三味線の調弦を合わせていたら、時間を気にするプロデューサーの方に「早くしなさい!!」とものすごい剣幕で怒鳴られた経験がある。たまたまその人のマイクがオンになっていたので、その怒声がホール中に響き渡ったのはほとんどお笑いだったが、そのことは私にとって今だに心の傷となって残っている。だいたいそんなことで良い演奏ができる訳がない。

 今の社会は、あまりにも無理矢理、人間に時間のものさしを押し付けてはいないだろうか。円滑に社会を動かして行くために必要なことでもあるのだろうが、ここまで来ると人が時間を管理しているのではなくて、時間に人が管理されているのではないかという気がしてならない。もちろん人間の時間感覚には規則的な生体リズムというものもあるのだろうが、当然個人差もあるはず。ところが、子供の頃の学校生活から始まり、大人になっての会社勤めに至るまで、何が何でもすべての人に同じ時間感覚を押し付けてしまう。いつの間にかそれが当たり前になってしまって、体の芯にまで染み付いてしまっている。

 そういう人には私の言い分がなかなか分かってもらえないようだ。そういう人は私のような考えを「時間を無駄 にしている」ととらえることが多いらしい。しかし私など、自分ではかなり濃密な人生を送っていると思っているし、もし仮に時間を無駄 にしているように見えたとしても、じつはその中から得られるものもあるのだ。セカセカしている時にはなかなか見えてこないものが。もちろん時間厳守が悪いとはいわない。良いことだ。でもそれがすべてではない。もっと大切なものが見えなくなっていることもある。日本ももっとゆったりした社会にならないものだろうか。

9月20日

 月と言えば、アポロ11号が月面着陸したのは私が小学校の5年生の時だった。当時の担任、山崎先生はとても楽しい方で、クラスの皆の人気も高かったのだが、この日、授業を中断して小学校のすぐ近くのお寺にかけあって、そこの広間のテレビで、人類の月への第一歩の中継をクラスのみんなに見させてくださった(当時はまだ学校で授業の一環としてテレビ番組を観るということがほとんど行なわれていなかった)。そのおかげで、この日の、あのアームストロング船長による月面 への歴史的な第一歩シーンは、今でもきわめて鮮明に記憶している。

 当時は月がただクレーターだらけの天体で、兎が餅をついている訳ではないという科学的事実を「夢がなくなった」と言う人も多かった。しかし、私はそう思わなかった。科学的事実と空想とはまったく別 に考えれば良いことで、一人の人間の頭の中でそれらが両立できないわけではないと考えていた。兎がいたり月宮殿があってかぐや姫がいたとしても、それはそれでいい。

 月は太陽系の諸惑星を廻る80ほどの衛星たちの中でも、ガニメデやカリスト、タイタン、イオ、エウロパ、トリトンと共にもっとも大きい部類に属する。そんな、母惑星である地球と比べても大型の衛星である月があるために、その引力によって原始の海でアミノ酸などの物質が撹拌されて生命が生まれたとも言う。また、月の公転のおかげで地球の自転軸が安定し、そのことがまた生命の進化に寄与したともいう。月がなければ生命の誕生や進化もおぼつかなかったのかも知れないわけだ。そして石炭紀でもジュラ紀でも第四紀でも、月はいつでも地球を見つめ、地球の夜を照らしていたのだ。三葉虫やアノマロカリスも、恐竜たちも、仏陀もイエスも、紫式部もシェイクスピアもみな同じ月を見た。

 何よりも闇を恐れる人類にとって、月は暗い夜の世界を照らす光明であった。東大寺三月堂の月光菩薩の美しさはまさにそんな月光そのものの気がする。そしてまた、月は人々のさまざまな想いを反映させる鏡でもあった。今の時代でも、月はやはりロマンティックなものであり、場合によってはミステリアスな存在でもある。邦楽でもクラシックでも歌謡曲でも、月を題材にした曲は少なくないし、なおのこと詩人にとってなくてはならないアイテムだった。月を嫌った詩人はマラルメくらいだろう。私は地球のただひとつの伴侶として仲良く数十億年の時を共に過ごして来た月に、限りない魅力を感じる。李白の気持ちが良く分かる。そんな素敵なお月様に乾杯!!

 

9月19日

 「不愉快なことばかり冒頭にいつまでもあるのも・・・」というお叱りを頂いたし、このコーナーにもぼつぼつ新しく書き加えなければと思うのだが、このところさすがに忙しく、また次から次へといろんなことがあって精神的な余裕があまりなく、なかなか書けないでいた。私ばかりではなく、おそらく多くの人はそうではないかと思うのだが、ちょっとした事に手をつけるのが億劫になる時がある。ほんの少しやる気を出せば、それほど手間もかかることなく片付いてしまうのに、なかなか取りかかれない。よくそういうことがある。しかし私の場合、それを始めると今度はそればかりに熱中してしまい、他の事を忘れてしまったりするから困る。何ごとも平均的に中庸に精神を配分できないぶきっちょな性格なのである。ただ今回はそういう訳ではなくて、ひたすら多忙と沢山の懸案に悩まされてのことだけれど。まあ、このコーナーの更新は定期的にということではなく、あくまでも気が向いた時に「思いつくままに」と言うことでご勘弁願いたいと思う。こういうものの性格上、義務的な更新など意味のないことだ。

 さて、今日はとても気持ちの良い秋晴れだった。日が落ちて、いまは大きな月が皎々と輝いている。明後日、私も出演する池上本門寺の「満月の十三祭り」には見事な仲秋の明月が眺められそうだ。

 

9月6日

 電車内の不愉快シリーズ第二弾。それは携帯電話の「着メロ」。突然ピーヒャラケロケロ、シャカシャカと鳴り出すのが疎ましくて仕方ない。せっかく電車に乗って、ちょうど良い揺れ具合に気持ちよくウツラウツラしていると、突然けたたましく着メロが響き渡る。そもそも非常に小型化した機械だから、音響的に音そのものがカン高くて恐ろしく耳障りだ。本当に不愉快このうえもない。あっちでシャカシャカとくれば、ものの十分もたたない内に、今度はまた違う場所から別 な騒音が・・・たまったものじゃない。着メロなどほとんど必要悪じゃないかと思う。

 私はとにかく着メロが大嫌いだが、音楽家でも着メロを使っている人がいる。それを考えれば、こんなことを思ってしまう私はおかしいのだろうか。

 唯一、良いなと感じたことはある。それは私の門下生で、雅楽の「越天楽」が着メロになっている。突然おごそかに笙の響きが鳴り渡り始めた時には、その意外性にさすがに着メロ嫌いの私も感じ入ってしまった。

 ホームページでも、開くと同時に聴きたくもない音楽が流れてくることがある。これも考えものだ。眼は自律的に見たくないものをシャットアウトできるが、耳はそれが出来ない。音に関しては、まず少なくとも閲覧者の選択にまかすべきではないだろうか。

 

9月5日

 些細なことだが電車に乗っていて不快に思うことの一つに、隣に座った人が本や新聞を読んでいる時、こちらは別 に覗き込んでいないのに、ちょっとした顔の向きの具合で、それをさも覗かれたように迷惑そうな顔をされることがある。時にはわざわざ本や新聞を閉じ気味にする嫌味な行為に及ばれることもある。自分も本でも持っていればそれを読んでいれば良いが、いつでも本を持ち合わせているわけでもないし、顔を上げて気になる中づり広告だって読みたい時もある。でも、隣に座った人が何かを読みはじめると、私などつい意識して「あなたの読んでいるものなど覗き込んでいませんよ」ということを示すために、ひたすら身を固くしうつむきつつ、目的の駅に到着するのを待ってしまう。内心、なんでこんなことをしなけりゃならないのだろうと思いつつ。まあ、相手も自意識過剰なら私もまったく同じだ。でもこれはどう考えてもおかしい。狭い車内のこと、隣の人の本など、嫌でも視野の隅に入ってしまう。それは仕方のないことで、いちいち目くじら立てる方がおかしい。それが嫌なら車内で本など読むべきではないと思う。なぜそんなことのために、無関係な人間の視野の自由が奪われなければならないのだろうか。今度からは私ももっと堂々としていよう。まあ、中にはあからさまに他人の新聞を読んでいる人も見かけるけれども。

 

9月4日

 またベランダのヨルガオの話だが、大風による被害を乗り越え、毎夕よく咲いてくれる。多いと一晩で20輪ほど開いてなかなか見事だ。夜咲く花は、たぶん人間のそれと違って(人間の方は詳しく知らないのだが・・・本当のはなし・・・)清楚なものが多く、白色が多いのだが、闇の中で目立つのは白だから当然と言えば当然だ。また芳香を持つものも多い。その薫りと月光をあざむくような白さで虫たちを誘うわけだ。蜜もまた多い。

 そんな夜開花で有名なのは孔雀サボテンの一種である「月下美人」だが、さしもの美人でも私には少々「ケバ」過ぎて(この御時世だから一般 的には特に華美というほどでもないだろうが)、自分で育てる気にはあまりなれない。あっさりとしたヨルガオの花が私にはちょうどいい。別 にユウガオという花もある。ユウガオはヨルガオとは全然別のウリ科の植物だが、その花にはヨルガオと同じような清楚さがあって、たしかに源氏物語の「夕顔」に相応しいと思う。

 真っ白に香るヨルガオの花越しに、宵の明星が明るく明るく、白く大きく輝いている。星と花との競演にしばし魅入るひととき。

 一般では、ユウガオとヨルガオの間に混同がある。種苗会社などでも無責任なことにヨルガオの種子を「夕顔」として販売していることが多く、源氏の「夕顔」をこの花だと思ってしまっている人も多い。困ったことだ。ちょうど胡弓と二胡の混同に似ている。

 胡弓と二胡の混同について、「胡弓のHPをいくつか見ていく中で ほとんどの人、それも専門とする人が一緒にしていることも驚かされました。 そんな中、原様が、はっきりとそれを御指摘していらっしゃったので、 たいへんうれしく思った次第です」というメールを頂戴した。こうして正しい理解をしてくださる方がおられるのは本当に有り難いことだと思う。

 何にしても「胡弓」のサイトを検索すれば実際は九割以上が二胡サイトばかりで、話にもならない。「真贋混沌」とでもいうところか。世の中、いかに正しい情報が少ないことか・・・

 いっぽう「三味線」を含むサイトは「玉 石混交」もいいところ、数もめちゃくちゃ多くて、サーチを進める内にいささかウンザリしてしまう。こんな状態では、とても初心者が三味線を始めたいと思っても、かえって戸惑いを強くしてしまうばかりだろう。よけいな先入観を仕入れない内に、電話帳で「三味線教授所」を調べた方がよほど確実だ。

 もちろん、サイトそれぞれの主張があるのはいい。ネット上では基本的にすべてが自由で、そこがよいところだ。しかし「三味線といえば温泉。温泉といえば芸者と、すっかり影の薄くなった三味線も、津軽三味線の音色と共に最近では若い人にも見直されてきました」・・・何と言おうか、こういう表現は当っているのだろうか。こんなに決めつけていいもんだろうか。火星か金星かアルファケンタウリか、それともはるかな昔の別 の銀河か、いったいどこの話なのかは知らないが、私など若い頃から一度も「三味線と言えば温泉。温泉と言えば芸者」なんて連想をしたことないし、若者の門下生だって決して少なくない・・・こういうちょっと無責任な表現には憤りすら覚えてしまう。

 こういったあたりはネットの弱点でもある。あまりにも多すぎ、あまりにもごちゃ混ぜの情報の中から本当に良いもの、自分が求めるものを探し出すのは至難の技だ。たとえ正しくない内容でも、真贋に関わらずすべてサーチされる。それを判断するのはあくまでも見る方の責任。とはいえ、ものを見る力がなければ、結局判断すら出来ないではないか。これからもサイトは増える一方だ。ネット社会はどうなっていくことやら。

 

 

8月25日

 8日ぶりに東京の家へ。やっぱりこっちは暑い。演奏会は控えているし、8,000字近い雑誌の原稿を仕上げなければならないのでとても忙しい。

 ここはマンションの最上階で日当たりが良いので、ベランダに日除けのためにセイヨウアサガオとヨルガオをたくさん植えてある。とても良く育って、ヨルガオなど夕方から白く良い香りの花をぽっかりと咲かせてくれているのだが、久しぶりに見たら葉がボロボロ、見るも無惨な姿に成り果 てていた。事務のS君によると先日の大風ですっかり傷んでしまったらしい。青々とした葉がとても気持ちよかったのに、残念。まあこれからもまだ伸びてくれるだろうが、台風が来るたびにこれではねえ。先が思いやられる。

 

8月24日

 愛機Mac PowerBookG4、つまり今使っているこのPCのご機嫌がちょっと斜め。ここ二三日ちょくちょくフリーズする。今年の春に買ったばかりで、HDもまだ30GBのうち三分の一も使っていない。フリーズしてリセットするとその都度日付けを直さなければならないが、うっかり忘れたままメールを送ると、前世紀のはじめ頃の日付けで相手に届く。IMacを使っていた頃はこんな面 倒はなかったのだが。

 フリーズはMacにつきものと言えばその通りだが、うっかりデータを保存しておかないと後悔することになる。今日も出稽古に出るまでぎりぎりこのサイトのデータを全部CDRにバックアップ、ああ忙しい。

 Vaioでも買おうかなとも思うのだけれど、すでにMacのPCが3台もあるし、私は東京、松本と家が2箇所ある状態だから、パソコンの周辺機器、スキャナ、プリンタ、MOディスクドライブなどもそれぞれ必要で、けっこう費用がかさむ。Windowsを買えばこんどはソフトも買い直さなきゃならない。いくらノートでも2台持ち歩くのはむりだし、やっぱり私はこれからもMacユーザーを続けるのだろう。

 このところ楽器に触ってなければPCに入りびたり状態なので、愛機もいささかお疲れと言うところか。まあ演奏会も控えていることだし、楽器に専念して少し休ませてあげなくては。ところでPCって休ませれば人間みたいに調子が戻るんだろうか。

 

8月23日

 サイトのリニューアルオープン以来、まだまだアクセス数は少ないが、それでも色々な方からご感想を頂いた。人それぞれ感想が違うのは当然だが、どちらかというと3DCGは女性の方にはあまり受けないようだ。技術やセンスが未熟だからとも思うが、写 真と変わらないから意義を認めてもらえないということもあるらしい。私はもともと写 実的、リアルに描くというのが好きで、その意味で3DCGは最高なのだが・・・「絵手紙」の絵みたいなものなら受けるのだろうか。まあ色調が暗くて、Windowsで見るとほとんど真っ黒になってしまうと言うのも問題だろうけれど。

 じっさい、3DCGを作るのはなかなかホネだ。楽器が文字に変わるFlashムービーなどはそれほど大変でもない。だいたいが平面 上のことだから。しかし3次元のかたちを2次元のディスプレイ上で操作するというと、これがなかなか大変なんである。直線や真円ばかりだと比較的楽だが「音緒」など、造形的にとても難しくて苦労した。これはこれまで絵を描いて養って来た立体感覚に強く助けられたと思う。加えて音緒表面 の糸の組目模様もどうしたものかと色々試行錯誤を重ねて難儀した。胡弓の弓の毛もかなり難しかった。

 オーリキュラの葉も一枚一枚全部CGで作ったものだし、とうぜん花弁もそうだ。花は数百倍に拡大しても雄蕊や雌蕊がほぼ正確に並んでいるように作ってある。それを考えると、これからのボタニカルアートにはCGが向いているかも知れない。ちなみにオーリキュラのCGで壁にかかっている額装の絵、あれは私の手描きのボタニカルアート(アートと言えるほどうまくはないが)である。あれをそのまま載せた方が受けが良かったりして。

 それはさておき「細かな神経が行き届いている」「最初のページの胡弓や弓の絵が胡弓の文字に変わっていくムービーがすごい」 「文字が光っている」など、好意的な感想が多かったのは万一お世辞であったとしても有り難い。昔門下生だった方からも、偶然このサイトを見つけたとメールを頂いた。この「思いつくままに」のコーナーも好評のようだ。特に嬉しかったのは、ある門下生からの「門下生へのアドヴァイス」の感想。 「とても参考になりました。どこか子育て論にも似ている ような、暖かな気持ちになりました」・・・この一言だけでもサイトを開いた甲斐があると言うものだ。 たとえ九十九人の門下生には「馬の耳に念仏」 でも、たった一人でもそう感じてもらえるならば。もともと隅から隅まできちんと目を通 してくれる門下生も多くはないだろうし、先生がそもそも注意力散漫だから、門弟も同じ節穴のような眼の持ち主であったとしても文句は言えない。

 画像が暗い、ファイルサイズが比較的大きいものが多い、内容が希薄などの問題点も多い。 まあ時間をかけて、じっくりより良いサイトにしていきたいと思っていますので、どうぞ忌憚のないご意見を。

8月20日

 日本で一番天に近い信州は、熱帯夜もほとんどないし秋の来るのも早い。今日の松本の街は、爽やかな秋風が吹き通 っていた。学校の夏休みも終わりだ。まだこれから暑さのぶり返す日もあるだろうが、透き通 ったような空気の中でアサガオも昼下がりまで咲いていたし、満開のサルスベリやノウゼンカズラさえどことなく寂しそうに見える。コオロギも鳴き出している。今夜は肌寒いほど気温が下がるのだろう。今花の少ない庭では、ナツズイセンの類が見ごろ。キレンゲショウマの群落は黄色く丸い蕾がだいぶ大きくなって来た。涼しいのは嬉しいが、夏の終わりというのはやはりちょっと寂しい。でもこの微妙な時期は春に次いで私の好きな季節でもある。

8月19日

 頂き物のジャガイモがゴロゴロしていたので、久しぶりにポテトサラダを作った。ところがいかにも芋が大きすぎた。こんなものかなと思って四つほど茹でたのだが、いざサラダができてみると大きなボウルに山盛りになってしまった。まだ暑い時期だし、色々考えて「ポテサラ丼」なんてどうかなと思ったのだが、ご飯の上にテンコ盛りのポテトサラダを想像するだけでウンザリ。色気も何もない。まあ、これからしばらく三度のおかずにするしかないなあ。

 それにしても、今野菜が美味しい。トマト、キュウリ、ナス、レタス、インゲン、セロリ、ツルムラサキ、ピーマン・・・嫌いな野菜はないのでバリバリ食べている。ご飯以外は九割がた野菜だろうか。やはり旬のものは促成ものとは雲泥の差だ。ついでに果 物も今年は美味しい。桃も西瓜も結構頂いた。こうして食べ物の話をしている時が一番幸せかも。

 

8月18日

 今日は誕生日。と言っても私はふだん特別 何もしないし、セレモニーじみたことは好きではないし、誕生日のお祝いなど子供のすることだと思っていた。だいたいこの歳になってみれば、一休禅師のおっしゃる、あの世への一里塚のようなものだ。他人の誕生を祝うのも4月8日のお釈迦様だけ。クリスマスすら祝わない。しかし友人に、30代になっても家族全員で誕生祝いをしていると言うのを聞いてビックリした。彼の人生にとって、それはとても重要なセレモニーなのだ。

 たまたま今年、きょうは何人かの人に誕生日を祝ってもらう機会があった。美味しいものを頂いて、楽しいひとときを過ごした。コミュニケーションもできた。誕生祝いも悪くはないな、と、ふと思った。Tさん、ごちそうさま!!

8月16日

 多摩川の迷いアザラシ「たまちゃん」が人気で、連日数百人の見物人が押し寄せているとか。アザラシが珍しく可愛らしいこともあるが、それだけ都会の人間が普段自然と隔絶している証拠でもあるのだろう。

 じっさい、ほんとうに自然が縁遠くなった。子供の頃はこの時期、キリギリスがどこにでもいて、独特の声で暑い昼下がりの静けさをセミと共に満たしていたものだ。夜にはホタルの飛び交うのも少なからず見た。でも、もうキリギリスの声を耳にしなくなって長いし、ホタルにいたってはそれ以上だ。トカゲもすっかりいなくなってしまったし、アマガエルすら見ることが少なくなってしまった。野鳥は逆に目にする機会が増えたような気がするが。

 この、わずか四十年ほどの間の急激な変化だ。ほんとうはこんなことではいけないのだろう。このままでいけば、人間という「種」の存続ももうそんなに長くないような気がする。それは恐竜が絶滅した時のような巨大隕石落下のせいでもなく、結局はみずからが招いた幕切れなのだ。

 たぶん人間はまだまだ精神未発達な生物なのだと思う。個体や群や種の存続のために、せっかく備わった知能を短絡的に、その場しのぎ的に使う。こうして自然破壊や戦争、暴力が行われる。それが最終的にみずからをも傷つける「負」の行為であることになかなか気づかない。

 人間を超える種が生まれるとするなら、それは精神的にはるかに進化した存在なのではないだろうか。それも計算能力などではなく、徳性の。彼らは争わず、憎まず、欺かず、他者への思いやりに満ちた優しい種。今の人間ならほんのごく一部の有徳者にしか備わっていない、そんな豊かな徳性をすべての個体が生まれつき備えている・・・百万年後の地球は、そんな新種の生物で満ちているかも知れない。

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