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〈亜細亜弦想〉 張勇(二胡)先生と原先生とのジョイントコンサートである「亜細亜弦想」が、昨年の十二月六日に東京の紀尾井ホール(小ホール)で、そして十二月十日には松本のザ・ハーモニーホール(小ホール)で開かれました。ふだんあまり耳にすることのない、二胡と胡弓の共演を楽しむことができる貴重な機会でした。出演はほかに成燕娟(揚琴)先生と宮崎美枝子(箏・三絃)先生でした。 ここでは、東京でのコンサートを聞きにいかれた方の感想を紹介させていただきます。 浅草のお教室に通われている久米さんには現在、職場で大変お世話になっており、プライベートでも歌舞伎に誘って頂いたり夢二の画集を貸して下さったりと、それまであまり関心を持たずにいたものに触れる機会を作ってくださり、とても勉強になっています。 胡弓のこともお話を聞いていて、一度実際に聞いてみたいと思っており、今回の演奏会に出かけました。私はそれまで胡弓を見たことさえなかったものですから、はじめて 目にし音色を聞いて、なんとなく頭の中でイメージしていたものにくらべとても繊細な印象を受けました。回しながらという演奏法も驚きました。 恥かしながら私は、最初に演奏された「春の海」しか聞いた事がなかったのですが、それぞれパンフレットに書かれている曲目の解説を読んで演奏を聞いていると、その曲ごとに風景や心情などを自分なりに想像して、楽しむ事ができました。かえす波や風、鳥たちが目に浮かんできました。中国の二胡、揚琴の演奏も初めて聞いた訳ですが、力強く、見ていても楽しめるものでした。 今回の機会で、今まで未知だったものにほんの少しだけでも触れる事が出来て嬉しいです。演奏を聞いている一時、普段忘れがちな自然や四季の美しさを感じる事が出来て、良い時間を持てたと思います。(鈴木陽子) まず、原一男先生達の演奏会の成功にお祝い申し上げます。演奏会の招待券をいただき、大変感謝しております。 日本の文化は中国の文化とは淵源が深いとよく言われています。音楽は文化の一環として、人々の生活に不可欠なものです。日本は西洋文化の影響を受けながらも、一方で自国の文化をほぼ完璧に保存していると言えます。これは日本の誇りとも言えるでしょう。 この演奏会を聆賞して、一番印象に残ったのは日中の四種類の楽器の合奏です。みんな高音楽器ですが、低音が加わらなくても十分和やかなメロディーが奏でられていて、不思議な気持ちがしました。このような組み合わせは大胆な試みだと思います。「国際化」がよびかけられている現在の日本で、「亜細亜弦想」はある意味で積極的な役割を果 たしていたと思います。次の演奏会を楽しみに期待しております。(伍錦麒/東京外国語大学学生) 〈練習曲についての解説〉 これから稽古を始める曲について、原先生に簡単な曲紹介の解説をしていただきます。今回は「鉄輪(かなわ)」です。 * * * 地歌の中には、能の詞章を多くそのまま取り入れて新たに作曲したものがあります。手事もの最盛期につくられた菊崎検校の「西行桜」、石川勾当の「新青柳」や「融」、光崎検校の「三津山」などは有名ですが、それより少し前に、それに先んじた作曲活動を行ったのが、名古屋の藤尾勾当です。作品では「屋島」「虫の音」がとくに有名で、これらは後世地歌のみならず長唄などの作曲にも影響を与えていますが、「鉄輪」もその一つとされています。ただしこの曲は、流派によって尾張の某の作とされ、必ずしも藤尾勾当の作ではない可能性もありますが、曲中には「虫の音」などとよく似た旋律が使われていたりするので、藤尾勾当の作品として間違いないのではないかと思います。 さて曲の内容は、下京のある女性が主人公で、自分を見捨てて他の女に走った夫を恨み、鉄輪を頭にのせて火をともし、貴船神社に子の刻参りをして相手を呪い、ついには形相ものすごい生霊となって後妻を打ち懲らし、夫を捕らえていこうとします。しかし夫も最近夢見が悪いので、陰陽師(おんみょうじ)安部清明(あべのせいめい)に占ってもらうと、「今宵のうちにも女の恨みによって生命が危ない」と判じられていたので、あらかじめ清明に祭壇を用意し祈祷してもらいました。すると生霊は祭壇の御幣に宿る神の力により神通 力を失い、「時節を待つべきや、まずこのたびは帰るべし」と、足取りも弱々と退散して行くというものです。 これに似た話は平安時代以降多く、何と言っても源氏物語の「葵」の巻の六条御息所の生霊が有名です。また御伽草紙にも似たものがあり、女性の嫉妬や執念、男の身勝手を仏教的に諌める、道徳説諭的なものになっています。 「葵」の物語も邦楽によく取り上げられていますが、この「鉄輪」との違いを考えてみると、「葵」の場合、三人の登場人物はある意味で遠い雲の上の存在であり、どこか幻想的です。六条御息所は生霊になってしまうとはいえ、慎み深く美しい人です。しかし「鉄輪」からは、あまりそのようなイメージを受けることができません。もっと卑近な人たちによる、ドタバタした出来事といった感じがしてしまうのです。 両者とも、嫉妬という人間の原初的な心から発するマイナスのエネルギーと、祈りによる宇宙の根源力との争いとなる点は同じなのですが、「葵」の場合はそれがよりストレートであるのに対し、「鉄輪」のほうはあらかじめ打算がはたらいています。その意味で、「鉄輪」は話の筋がより人間臭く、場合によっては滑稽でさえあるように私は思います。これにはとりもなおさず、古代と中世との違いもあるのでしょう。神代に近い源氏物語の世界と、より神から人間に近づいた時代である中世能の世界、「鉄輪」の面 白さはこのようなところにあるような気がします。(原一男) 〈教室紹介〉 二回目の今回は、岡谷教室と渚教室です。 * * * 岡谷教室 私共の岡谷教室は、諏訪湖に近い岡谷駅より歩いて五、六分のところにある公会所の一部屋をお借りして、月二回土曜日にお稽古をしております。 今年で十七年目を迎えました。現在は女性ばかり七名(現九名)ですが、お互いに気心も解っていますので、楽しく励まし合いながら先生の御指導を受けております。 今まで勉強を続けてきたことをほんとうによかったと皆さんと話しあっております。お稽古を重ねるごとに三味線の奥深さを知り、少しでも上達するためには「自分がやるしかない」と、それぞれがその意気込みで練習しております。 お稽古の合い間にティータイムを取ります。持ち寄りの茶菓子をいただきながら、和気あいあいといろんなお話をいたします。 今年は七季ぶりに諏訪湖の御神渡がみられました。また申年と寅年に行われる諏訪大社の御柱祭があります。皆様、機会がありましたら岡谷教室にお出かけ下さい。(竹内しげり) 渚教室 地域に根ざした公民館活動の一環としてはじめた渚教室です。現在の六人のメンバーになって早ウン年になります。絃詩会の濫觴のころから参加している発表会は、あの場所この場所となつかしく思い出せます。 月に平均三回、公民館で先生にお運びいただいて稽古をしておりますが、教室の運営は二名ずつ順番に世話係として一年間任にあたっております。 絃詩会の最大のイベントである発表会に参加するのはもちろんですが、教室としては町内の敬老会で三絃を演奏させていただくことです。これはすべて自分達で行うので、ぼろを出さないように選曲にあたっては条件があって、先生を困らせております。 渚教室の年令を数えると、そのわりには腕の方はどうなんだろうと言葉をにごしてしまいますが、教室のあるときは欠席する人もなく、六人全員が元気な顔を合わせてお稽古することができます。まさに加令の時代を暮らしている私達が、健やかで楽しい教室であることが、何よりもありがたいことだと皆で話し合っております。(高木エイ子) 渚は松本駅から真西に十分ほど歩いたところに広がる地区で、上高地、飛騨・高山方面 へ向かう幹線道路や鉄道が通っています。もともと松本は地下水がたいへんに豊富なところで、周囲の高山からの清冽な伏流水が至る所に湧き出しており、市内には水にちなむ地名が多いのですが、渚もそのひとつで、城下町を貫流する女鳥羽(めとば)川をはじめ、いくつかの河川が合流するところにあります.住宅街ですが、近年は警察署や銀行の本店も移転して来たり大きなマンションがいくつも建つなど急速に変わりつつあり、その一方で、川には水鳥の飛来が多く、目を楽しませてくれます。東にはたおやかに連なる二千メートルの美ヶ原の山並と、その下に松本駅東側のビル街のひろがりを一望し、信州の都市ならではの景観はなかなか素晴らしいものです。(原一男) 〈次号予告〉 「さくらそう」第三号では、三月に東京で行われた「あかつき会」と四月に松本で行われた「絃詩会」、五月に東京で行われた「邦楽学習グループ合同発表会」の報告などを掲載する予定です。 〈編集後記〉 ★「通信を楽しみにしています」という皆様の声を励みに、紫陽花の美しい季節に合わせて、第二号をお届けします。次号もさらに内容を充実させ、楽しい「さくらそう」をめざしたいと思っています。皆様の原稿をお待ちしています。 ★第二号はいかがでしたでしょうか。原稿をお寄せいただいた方々に、この場を借りましてお礼を申し上げます。(斉藤浩司) |
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